しりきれとんぼ2005年前期

2005.6.29
おはよう。
Sさんはカイロプラクティック施療後、ひとしきり今年の作物の出来具合を語っていくのを常としている。野菜作りの薀蓄はなかなかなものである。
余暇で始めた家庭菜園だったのだそうだが、今では耕運機まで購入し本格派になってしまい、近所の農家の人が、種の選び方、苗の管理の仕方などを聞いて来るそうだ。プロを唸らせるアマは女子ゴルフの世界だけではない。しかもSさんの場合、将来プロに成る気などないのだからもっとすごい。
Sさんの本業は、かなり辛い肉体労働を伴う技術者である。
怠け者の徳さんにしてみれば、その勤勉振りだけで脱帽ものである。
先日は、種苗の雑誌を広げて、いろんな野菜それぞれの特徴を説明してくれた。
白菜一つをとっても、色々種類があって、水っぽいものとそうでないもの、葉の固さの違い、甘さの色々、取り入れの時期の組み合わせ、等など取り組まなければ成らない事が無限にあるそうな。
無知文盲の徳さんに対して、嬉々として説明してくれるSさん。
徳さんは患者さんに恵まれておりまする。

2005.6.25
おはよう。
通勤電車の中でも、様々な人がいて様々な事が起きる。
徳さんの通勤時間はラッシュが一段落した頃合いである。徳さんが唯一味わっている贅沢だ。
それでも込み合ってるのは東京では当たり前。吊り革にぶら下がれたら、今日はラッキーと、その日の運勢の占い程度にはなる。
その日はラッキー日で、吊り革につかまりながら本を読んでいた。なにしろ重いカバンが棚の上に乗せれる。
突然、ドア付近でドスンと音がした。
棚の荷物でも落ちたのかと、そちらを見ると、女性が倒れている。
貧血ではないようだ。目を見開いて中空を睨んだまま倒れている。脳の疾患だ。
ほとんどの人が呆然として見守る中、しばらくして一人の人が彼女をゆっくり助け起こし、一番近くの座席に座っていた人が席を譲り、彼女は軽く会釈して譲られた席に座った。その後、彼女は何とか持ち直したようだった。
人々の適切な対応と、不適切な対応が混じり合ったような状況であった。
何メートルか先の出来事だったので、徳さん、直接何が出来るわけでも無い。
しかし、徳さんが何か出来る位置に居たとしても、適切な対応と不適切な対応のにない混ざったものしか出来なかっただろう。
隣り合う生き物としての能力が極端に低下している我々の現在を痛感した徳さんだった。

2005.6.22
おはよう。
中央線を通勤に利用しだして18年位になる。その間、様々な事に出くわした気がする。
ともかく最初にたまげたのは、通勤ラッシュ時、乗ろうとした電車から、前の電車と後からの電車が見えることだった。乗ろうとしている電車も充分にすし詰めなのに。
東京生活者にとっては当たり前の事態でも、地方都市生活の長かった徳さんにとっては、東京というイメージがそれだけで決定付けられる類の事態だ。one of themの意識を強制的に植え付けられるようで、誰に持っていっていいのか判らぬ不満と、己の卑小感に打ちのめされた。同時に無尽蔵に人間を吐き出せる東京郊外の人口密度の高さに驚愕もした。
次の印象は人身事故の多さだ。1年ほど前には3日で4件の記録があったように記憶している。他線に見られぬ多さである。中央線からは自殺志願者をいざなう、独特の死への魅力フェルモンの類が出ているのだろうか?
中央線のJR職員はさすがに事故慣れしているのか、復旧作業は警察の検分も含めて小1時間で完了させている。初めの頃は振替輸送の案内に正直に振り回されていた徳さんも、最近は事故慣れしてしまい、運転再開まで乗り込んだ電車で本でも読むようになってしまった。こんな事に慣れてはいけませんな。

2005.6.18
おはよう。
『徳さんのささやかギャラリー』の「松本博のフォトギャラリー」の中心人物、ヒロシが先日、腎臓摘出の手術を受けた。幸いにして適切な手術を受ける事が出来て、ヒロシもあと2,30年は持ちそうである。まずはナンマンダムとこの世のある力に感謝申し上げよう。
なんでも、ことの発端は腎臓に出来た結石だそうな。
今年50歳にならんとするヒロシは小学生の頃にすでに腎臓結石を指摘されていたのだそうだ。
それがズルズルと40年間も放置されたのは、ヒロシが重度の身体障害者であることと無関係ではない。やばそうな事柄に逃げ腰になるのは医者ならずとも世の常である。
のっぴきならぬ状況になって、危険というものを万人が受け止められる状況になって(その時は手術の結果がどうなろうと、ヒロシの潜在的体力の無さで説明が出来る。)初めて手が付けられた、という感がする。
本当に、幸いにして手術は成功したのだが、摘出された結石と、結石が原因となる5倍ほど肥大化し、機能を失った腎臓を見た時、徳さんは正直驚いた。
結石は腎臓の腎盂の形に沿って見事に扇型に出来上がっている。出入り口を塞がれた腎臓は、何とか勤めを果たさんと懸命に肥大化して最後には背中の半身にまたがる大きさとなり、他の臓器を圧迫して食事も満足に出来ないような事態になってしまった。本来なら10センチ程のソラマメ型の臓器が25センチ大の馬蹄形固形物として君臨しちまっていた。それも機能を失って。
ここまでの放置が、障害者の世界では当たり前なのかも知れない。
福祉、福祉という音頭の中で、一つ一つの実態を見れば、ビュービューと寒い風が吹いている。

2005.6.15
おはよう。
カイロプラクティックの施術をして、後になってヒヤッとした事がある。
Mさんは臨月で、出産予定日は2週間後である。
大きなお腹が負担となって腰痛を訴えていらっしゃる。
カイロプラクティックは皆様のイメージに反して、妊娠している女性にも安全で有効なのだが、出産予定日を2週間後に控えているとなると、さすがに、これはカイロプラクティックなどやらぬが良い、と徳さんは判断した。予定日など当てになるものではない。特に初産においてをは、とビビリまくる徳さんに対して、Mさんは、辛いのは私、私が保証するから早くカイロをしろと促す。
幸いにして、ご主人も同席していたので、徳さんの苦衷を理解してもらいながら、軽い軽い施療をしたのだった。
その2日後、Tさんのご主人から無事出産の電話が入った。お産もビックリするほど軽かったとのこと。
徳さん、あ然とするやら、ホッとするやら。
その時誕生したTちゃんは、もう2歳半のやんちゃ坊主に成長して、先日は新宿カイロの壁をビリッと引き裂いてくれた。その時のTちゃんの得意げな顔を見て、もう、これは感謝感謝の心で応ずる他は無いと観念した徳さんでありんした。
患者さんとのやり取りで施術法が決まったり、施術そのものをやるかやらぬかが決まるのだが、気の弱い徳さん、このようにして時々患者さんに押し切られてしまう。
考えてみれば、患者さんの体に聞き耳立てて施療せざるを得ないのだから、患者さん主導の面が潜在しているのは事実なのだが、それにしても、2日後に出産したと聞いた時は、徳さん、心の臓が一瞬縮み上がってしまったぞ。

2005.6.11
おはよう。
この「しりきれとんぼ」、一応週2回の更新を目指して努力している。水曜と土曜は仕事を終えた後、好きな音楽を流しながら、そしてこれも大好きなアルコールを舐めながらノートパソコンに向かうのを常としている。
しかし、これがちょくちょく邪魔が入る。
そして、前回も邪魔が入ってしまった。
どうやら最後の患者さんを目指し、そのまま居酒屋へなだれ込もうという魂胆だ。
徳さんも居酒屋への誘惑には打ち勝ち難いものがあって、簡単にパソコンの終了作業に入ってしまう。
反省。懺悔。
施術用ベットを離れての患者さんは、日頃徳さんに痛めつけられている恨みからか、アルコールの力に後押しされてか、言いたい放題のご発言で、、、、、。

2005.6.4
おはよう。
前回の話はまともに考えれば結構怖い話である。
地上に棲息する生き物にとって大気の汚染が決定的なのと同様、海の生き物にとっては海水の成分の変化が死活問題となる。大気も海水も人間の手によって汚れまくっている。
今回の太刀魚の背びれに出現したカルシウムの塊のようなものは、太刀魚が無意識のうちに海水の変化に適応したものに違いない。緊急避難的意味合いがあるのかも知れない。過剰なものを太刀魚にとっては害の少ない背びれ部分に追いやっておく、という方法で。
ともかく、生き物達は人間がしでかす不始末を懸命に後始末してくれている。
少しは人間も彼らに報いねば。
怖い話といえば、先日、患者さんの持ってきた話がある。
Tさんが知り合いの医者から聞いた話。
最近の死体は腐るのが遅くなった。
そのこころは、食品に防腐剤が多く含まれていて、それを食べてる人間も腐りにくくなっているとのこと。

2005.6.1
おはよう。
変な写真である。
白い3個の物体が変な代物で、その上の棒は爪楊枝である。
背景は我が家のテーブルの上に、その辺にあった紙を乗せたものだ。
これが何か、説明無しに分かる人はいまい。
説明をしても、この物体の出自を説明してくれる人は少ないだろう。
この物体の出来た理由を教えてくれる人がいたなら、掲示板で説明して下され。
徳さん一家の一昨日の夕飯のおかずは太刀魚の焼いたものだった。
近くのスーパーで徳さんが買ってきたものだ。太刀魚4切れで498円の安さに引かれて買った。
安さに引かれて、という根性が悪かったのか、背びれ(かっこよく言えばエンガワ)の部分からこんなものが出てきた。
奇形なのか、汚染物質のせいなのか、当たり前のものなのか。
多少、気味悪がりながらも、しっかり食べ尽くした徳さん一家でありました。
太刀魚といえば、静岡に住んでいた頃、魚屋さんがエンガワをきれいに骨抜きしてくれて、その油の乗った旨さに悲鳴を挙げたものでした。

2005.5.28
おはよう。
患者さんの中には、ベットにうつ伏せになれない人が何人かいらっしゃる。
妊娠しててお腹の大きくなっている人。脳性麻痺(CP)などの障害者でうつ伏せになると呼吸が上手く出来ない人、などなど。
Sさんは心臓の僧房弁閉鎖不全症で手術を受けたのだが、術後、うつ伏せになると息苦しさを感じ、うつ伏せにならない事を条件に施療に見えていらした。
これはこれで、施療の工夫を強いられ、徳さん、結構楽しんでいたのだが、最近になってSさんが、「先生、(患者さんにしてみれば他に呼びようが無いらしい)毛布を胸の下に敷けば、うつ伏せでも大丈夫かも知れません。やってみて下さい。」とおっしゃる。結果は、Sさんの予想通り、何の問題も在りませんでした。
工夫という楽しみを奪われた徳さんは、喜びつつも、心の片隅に残念がっている自分を感じてる次第です。

2005.5.25
おはよう。
以前から気になっている発明、発見の話。
海洋深層水温度差発電というのがある。
百年以上前から考案されているものの、効率が悪く実用化されていなかったらしい。
それが21世紀に入って、佐賀大の上原学長によって考案された、液体アンモニアを利用したタービンを利用する事で、一挙に実用化された。液体アンモニアを暖かい海水で蒸発させ、タービンを回し、冷たい深層海水で冷却液化するといったものだ。
ちょっと永久運動めいている。
大規模に取り組めば、低コストなものに成るみたいだし、何よりも汚染物質を出さない、温暖化ガスを出さないという大発明だ。
もちろん、暖かい海にしか通用しないし、開発されたばかりで問題も多かろうが、日本の国際貢献というのはここら辺をまい進すれば世界も納得するだろう。本質的な国際貢献は民まかせのお寒い日本政府であるよな。
今の所、地味な展開をしているようで、なんだか悲しい。

2005.5.21
おはよう。
患者さんを施療してて、施療士である徳さんが想定してもいない思わぬ結果に出くわす事がたまにある。
「4日前に左のわき腹を机にぶつけてしまって今も痛いんです。体を捻じっても、腕を上げ下げしても痛みが響くんです。」
Hさんの訴えである。
どうやらHさんは痛みをどうにかしろと言っているらしい。
しかし、こんなのは駄目である。
外傷は守備範囲じゃござんせん。外科に行くべき話だし、行ってもレントゲンを撮られ、骨に異常が無ければシップをくれるだけだから、自分の自然治癒能力を信じておとなしくしてるしか無いでしょう。
そんな主旨をHさんに伝えて、いつものカイロプラクティック施術に入った。
もちろん、傷にひびくような施術を避けて。
Hさんも駄目元で言ってみただけ、というご様子で、痛みに聞き耳立てながら大人しく施術を受けられていた。
胸椎の7番が少し右にずれていたので矯正した直後の事である。
「あれ、先生、痛みが急に無くなったよ。」とおっしゃる。「本当だよ、ホレ、大丈夫だよ、」と体をひねったり、腕を上下にしてみせる。
これには徳さん、内心ではかなりうろたえた。こんなはずじゃあ無かったのに、、、、、。
しばし沈黙のあと、「打撲の際の怪我としての炎症は治っていたんだよ。打撲の際の衝撃か、そのあとの痛みによる筋肉の過緊張による背骨のズレだけが神経を圧迫して痛みを長引かせていたんでしょ。」と答えておいた。
徳さん、思わぬ事態に出くわし、久し振りに短い時間で頭をフル回転したことになる。
これなどはタイミングに助けられての好結果なのだが、体はナマモノという好例だろう。マニュアルに従うだけのコチコチ頭は反省しなければならない。

2005.5.18
おはよう。
最近発見した発明、発見の話。
の、はずであるが残念ながら正確にお伝えできぬ。
休みの日、遅い朝食を取りながらテレビを見ていた。コマーシャルに入ったり、少しでもつまらぬと感じたらチャンネルを替えながら。さして見たくもないのにテレビをボーっと見てしまうのは、皆さん同様徳さんの悪い習性である。
リモコンをいじっていて、面白そうなのに出くわした。
NHKの教育テレビで子供向けの番組だ。小学生高学年を対象にしている。
地球の砂漠化に対して何か良い方法はないか。
植林である。
ノーベル平和賞のワンガリ・マータイさんの活動につながる話である。
しかし、今の所、少ない水でも育つ樹木を植林することに限られているのが現状だ。
砂に水を留め置く方法はないのか。そんな問題設定の番組だった。
そこでノーベル化学賞級の発見が紹介されていた。
なんと、納豆のネバネバを化学処理した粉末が不可能を可能にしていた。
たしか納豆繊維に電磁波を浴びせるのだった。そうして出来る白い粉末を水に混ぜて砂漠に撒くと水は砂漠の地中深く浸み込まず、地表近くに留まるのだ。電子顕微鏡でその納豆粒子を覗くとパイプオルガンのパイプのようなものが重層的に規則正しく並んでいるのが見える。そのパイプの中に水が貯えられるという代物だ。納豆繊維がナイロンの代わりになるという話は漏れ聞いていたが、これはお姉ちゃん達の足元を飾るどころの話ではない。まさに気息奄奄ともがいている現在の地球を救えるかも知れない大発見である。
ボーっとして見ていたので、詳しく、正確に伝えられないのが残念じゃ。
こういう発見こそがマスコミ挙げての朗報として伝えられるべきだ。
日本が国連で常任理事国入りなどという、なんか自尊心と見得以外に目的のはっきりしないことより、比べようもない国際貢献に繋がるはずだ。

2005.5.14
おはよう。
発明、発見の世界で、どうも徳さんの評価と世間様のそれが違うと不満に思う事がある。
徳さんは仕事の性質上「使い捨てカイロ」に間接的にお世話になっている。徳さん自身は使った事はないが。
庶民が選定するノーベル賞ものだ。なのに発明した人の名さえ徳さんだけでなく、ほとんどの人が知らない。失礼な話だ。会社だけが儲けているのではないか。
特に冬場、腰痛の患者さんや冷え性の患者さんが愛用している。患部を温め、毛細血管を拡げ、血液を集めその人自身の自然治癒能力の手助けをしてくれる。
最近は靴先にセットするもの、足裏にセットするものまである。(これは小さくしたり貼れるようにしただけでたいした努力無しに可能だが。)
鉄が空気に触れることによって酸化鉄になる際の化学反応熱を利用するという、簡単すぎる原理が評価を低くしているのだろうが、過去の偉大な発明発見は簡単な原理の新しい見方にあった、と思っている徳さんにとっては腑に落ちない点である。
現在のところ、使用した使い捨てカイロは固くなってしまい、燃えないゴミとして捨てられているが、これは資源の無駄遣いというものだ。簡便な還元装置が出来るはずだ。これさえ出来れば循環型資源利用として「使い続けるカイロ」の発明として庶民が選定するノーベル平和賞まで貰えるに違いない。
利潤を最優先させる時代は去ったのだ。 

2005.5.11
おはよう。
五月の連休を口実にオヒサを勝手に実行してしまった。
でも、JR西日本のしでかした尼崎列車事故が心の中に尾を引いて、ぐずぐずと手を付けなかっのも事実だ。
なんか人を無力感に襲わせる事故だった。
自分が運転士だったらどうしてたか?直前ににオーバーランの遅れがあり、列車接続を何としても可能にしたいと思っていたらどうしてたか?制裁も待っている。そんな事情を知っている車掌だったらどういう行動があったか?
縦割りに硬直化した組織の中で彼らを指導する教育者の立場だったら何をしてたか?
中間管理者だったら、現場の要求と上からの要求に上手く折り合いが付けれただろうか?何が大事な事なのかの意識を最後まで維持できただろうか?
さかのぼって考えれば、国鉄が民営化した時、国労を離脱する事を要求されてどうしてたのか?
逆に社長だったら何を社員に求めていたか?もちろん、配当にうるさい株主の要求を前にして。
そもそも公共性の高い株式会社JR西日本の株主だったら何を要求していたのだろうか?
己に引き寄せて考えれば、結構恐ろしい話になりそうである。
ここまでの事故を起したのだから、JR西日本の大株主も顔を見せるべきだ。
と同時に、叱っているばかりで成り立っていると思い込んでる国土交通省も、放置黙認馴れ合い自己保存、そして、たかり(天下りってのはそうだよね)を制度化してしまった体質を恥じ入らねば。
マスコミも同様。

2005.4.27
おはよう。
背骨は何故歪むのか? その⑦
人権保護のため顔写真はご容赦を。(これはご本人が週刊誌を読みふけっている所を盗み撮りしたもので、わざわざ顔を避けたのではないが。)
他人の姿勢にはうるさいカイロプラクティックの先生である徳さんとこの待合室で(狭いワンルームマンションの一室が新宿カイロの実態なので、待合空間といったほうが正しい)これほど図々しく、独特の悪姿勢を平然とする患者さんは他にはいない。
このMさんは、徳さんのカイロ修行時代より以前からの知り合いで、カイロ歴は25年になる。当然、日頃の姿勢の大切さは口をすっぱくして伝えてあるのだが、初期の頃はともかく、最近はこのていたらくである。
大病を克服し、死の淵から生還してからは、悟ったのか居直ったのか、「背骨の歪み?何よ、それっぽちの事。」という心境らしい。ともかくご自分の楽な姿勢を求めて堂々の御振舞い。
徳さんのほうも、言うべき事は言った。やるべき施療は真っ当にしている。あとは、もう好きにして。という悟りで対抗している。
しかし皆様、この写真のような姿勢が背骨を歪めるんだぞ、という徳さんの主張だけはご理解下され。

2005.4.23
おはよう。
最近は随分と市民権を得たかのようなカイロプラクティック業界である。
どこの駅に降り立ってもカイロプラクティックの看板が目に付く。
ちょっと大きな駅の周辺にはカイロに限らず、整骨院、整体、指圧マッサ-ジ、足裏マッサージ、アロマセラピー、、、、、と乱立している。中には電飾看板で派手に宣伝している施療院もある。
もちろん徳さんは同業者だからして、普通の人よりそのての看板に目がいくのだが、それにしても多い。
本来なら同種の施療院が多い事は患者さんにとって喜ばしい事のはずだ。多くの商品から自分の気に入ったものを選ぶというのは豊かな商業社会にとって当たり前の姿だ。
施療院側も激しい競争の中で、患者さんの訴えに答えるべく腕を磨く。
良い事の連鎖のような気がするが、実態はそう上手く出来てはいない。
これほどに数多くの施療院が在っても、患者さんは何処を選んでいいのか判らない事情はいっこうに変わらない。
スーパーでの買い物のように手にとったり、その場で他の商品と比べたりして目利きをする訳にはいかない。
お金を払って、吉と出るか凶と出るか。評価は買ってみないと出来ない代物なのだ。
運が悪ければ我が身を犠牲にすることになる。
「もう、あんな所二度と行くものか!」と徳さんもつぶやかれているのかも知れないが、、、、、、。
ともかく施療側からしても宣伝の難しい業種ではある。
最近は施療時間を細かく区切って、10分いくらから120分いくらまで、少しづつ割安になるようにしている施療院も見受ける。患者さんの利用し易いようにとの配慮からかもしれないが、患者さんの訴えに対する対応としては方向違いじゃないの、と思ってしまう。
ともかく、施療院のそれぞれは差異化を目指して悪戦苦闘している。
だけど、患者さんに充分な情報を提供する真っ向勝負の宣伝は法律違反なんだよな。

2005.4.20
おはよう。
還暦をカウントダウンしている徳さんの顔に最近老斑が目立つようになってきた。
いわゆるシミがもみ上げあたりに点在している。
出来そこないのイボのような異型細胞群も見うける。
もちろん、ある日突然出現したのではなく、月日をかけて、それこそしみ出るようにして出来たものだ。
ただ、気付くのがある日突然なので発見直後は結構落ち込む。
こんな時は、気持ちの上で赤ちゃんの皮膚と比べるようにしている。
こればかりは絶対に負けるのだから、かえって気持ちがすっきりする。
どんなに若々しい、お手入れ充分な肌ツヤを誇るご婦人にしても、赤ちゃんのそれと比べられたらただの干からびた皮膚の持ち主になってしまう。
中途半端な若さと比較するのはなしに、絶対的な若さと比べれば、おのれの老いにも納得がいくというものである。
そんな皮膚の異変にもささやかながら取り組める事がある。
年とともにイボも出現するのだが、茎に当るものがあるやつは簡単に取れるのだ。
自分の髪の毛を一本抜き、イボの茎に当る部分を強く結び上げる。
ただそれだけ。そのまま何日か放置すればイボは腐って取れてしまう。その間バンドエイドでもしておけば社会生活に支障なし。これが他人の髪の毛だと炎症が起きてしまうので、あくまで自分の髪の毛を使うこと。
こんな些細な事にも自己と非自己の認識が働くのだから、生き物って奴はすげえ奴だぜ。

2005.4.16
おはよう。
先日徳さんが思い付いた「逆さメガネ」という言葉は、世の中に流通している価値観の順番を逆に並べ直してみよう、その時見えるものを大事にしようということである。
本来なら大きく見えるものが小さく見える、小さくしか見えないものが大きく見える。質まで変わる。
分かり易いのが、春と秋に行なわれる叙勲。一等から七等まである。
この順列を逆にすると初めて人間評価の価値判断がまっとうなものとして立ち現れる。
「逆さメガネ」で4月12日の朝日新聞を読むと、その日のトップニュースはソマリアでの廃棄物汚染であるはずだ。
だけど、ご多分に漏れず大新聞の扱いは小さい。
昨年末のスマトラ沖大地震ではソマリアでも甚大な被害をこうむった。報道はされたが、その扱いは信じられないほど小さかった。続報となると皆無に近い。
そのソマリアで津波の後、放射性廃棄物や産業廃棄物によると思われる健康被害が出ている。
なぜ、北アフリカのソマリアで放射性物質なのか?カドミウムなのか?水銀なのか?
政情不安の続くソマリアには廃棄物投棄の規制がない。その事に抜け目ないヨーロッパ企業が目を付け、ソマリア沿岸にそれら廃棄物をドラム缶に入れ廃棄放置したものが、今回の津波で容器が壊れ、汚染物質が地下水に染み込み、ソマリアの人々に健康被害をもたらしたのだ。
グローバル化を主張する先進国企業の舞台裏はこんなものでしかない。
日本でも四国の島やあちこちで同じ様なことがあったよな。

2005.4.13
おはよう。
瀬戸内海に天の邪鬼という無人島がある。
高校生時代の夏に何度か訪れたことがある。
瀬戸内汽船の定期便があり、途中捨てられるようにしてその島に降り立ち、適当に泳いだり、ひとしきりボーッと空を見て過ごし、夕刻、帰りの便に拾われて帰るといった感じだった。
省みれば優雅な時間を過ごしたものだ。
なぜ、アマノジャク島だったのか、今思い返しても、名前に惹かれたとしか言いようが無い。
調べればいわく因縁があるのだろうが、高校生の徳さんにそのような関心を求めても無駄である。
はっきりしている事は、当時すでに徳さんは充分に天の邪鬼だったことだ。
人間は肉体は老化していくが、考えていること、心の中身はそうそう進歩しない。
徳さんは今、「逆さメガネ」という言葉を思い付いた。いろんなものを逆さから見てやろう、という思惑である。
その「逆さメガネ」に反応する記事が今朝の朝日新聞に載っていた。
ソマリアの記事である。
「スマトラ沖地震の津波が影響か?ソマリアで健康被害」という見出しだ。
ソマリアで何が起こっているか?
これは一応報道されている。
しかし、ソマリアの政情不安を餌にヨーロッパの産業廃棄物の捨て場としてソマリアが選ばれているとの指摘は始めてである。
次回、この事を少し考えてみよう。

2005.4.9
おはよう。
関東地方、桜満開である。
新宿カイロから歩いて5分の場所に桜の名所、新宿御苑があるため、お義理でもシーズン中に1回は花見に出かけるようにしている。殺人的な混雑が予想される土日を避けれるのもご近所ゆえの特典である。
幸い、最近は転送電話というものがあり、わりと暇な時間帯は安心して外出できる。
携帯電話の能力はかなり高い。(ずっと、毛嫌いしてた徳さんだったが)
新宿御苑の桜にはちょっと特徴がある。
群れていないのだ。1本1本が大木として存在を誇示している。
これが1本の樹が咲かせる花という
ものか、と見るものを圧倒する。
それが新宿御苑の広大な空間に数百本配置されているのだから、気軽に花見に出向いた徳さんは途中から疲れ果ててしまう。
感動も繰り返し訪れられれば徳さんの好奇心もあらぬ方へ向かっていく。
ウィークデーなので、人出は少ないはずと踏んだのに、それでも結構な混雑振りである。日本人が桜好きなのか、暇を持て余している人が多いのか。
ともかく徳さんは途中から人の少ない方へと歩いてみた。
そして出くわしたのが右端の光景である。
樹の名前は徳さん分からない。ポプラなどの類だと思う。
もう、あの人込みはここには無い。
樹の先端まで良く手入れのされた、現在時、ちょっとシュールな光景である。
将来を見越しての、丁寧に管理されたこの並木を見た時、あの満開の桜の巨木とはまた一味違う感動がここにはあった。樹の未来の生長を信じる心が植木職人を通じて伝わって来る。
それにしても、花粉症に悶え苦しんでいる徳さんは、杉の山林に対してこの十分の一程の管理があったらなあー、と嘆く事しきりである。

2005.4.6
おはよう。
花粉症の話が続いて恐縮だが、最近は多数者の地位を確保したらしく、街中でも電車の中でも、大きなマスクをした、本来なら怪しげな風体が市民権を得て、花粉症に伴う徳さんの奇行も群集に紛れる事が出来、なにやらホッとしている。不幸が君も僕もなら、辛さもいくらかは緩和される。卑しい根性だとは思いつつも。
肯定的な話を一つ。
確かに花粉症は罹った本人でしか分からない辛さはあるにしても、花粉症故の快楽というものがある。
目が痒い。掻いてはいけない。しかし禁断の掻く行為を一度始めたら、これはこの世に又とない快感である。
その瞬間は、至福の世界である。
これほどの快感を、他の何者が代行し得るであろうか。
勿論、快楽には代償が控えている。
存分に掻かれた目は落ち窪み、眼輪筋は緩んでしわを作り、推定年齢が一挙に上がる。ここ数年徳さんが急速に老け込んだ印象を皆様に与えているとしたら、それは花粉症のせいである。まあ、そういうことにしておいて下され。

2005.4.2
おはよう。
今日の徳さんはいつになくご機嫌がよろしい。
13年来の患者さんYさんが奇跡の生還を果たし、以前と変わらぬ元気な姿をみせてくれたのだ。
いつも連れ立って施療に見えるHさんから、Yさんが、くも膜下出血で倒れたとの連絡を受けたのは40日前のことだ。徳さん、今回はやばいのでは、と正直思った。
というのは、Yさんは20年前にも、くも膜下出血で倒れ、奇跡的に後遺症皆無で生還した人だったのだ。
20年前倒れた時には、周りに親しい人がいてすぐに救急車を手配できた、近くに脳神経外科を扱う病院があった、たまたま当日、専門の先生が宿直してた、出血した部位が良かった、などなどの幸運が重なり、この世に生還出来たのだった。
人間、そう何度も幸運の女神が微笑んでくれるものでは無い、と己に引き寄せ思っていたので徳さんかなり絶望視してた。
ところがYさんは幸運の玉手箱をいくつも持っていた。
今回Yさんが倒れた時に、たまたま姪御さんが遊びに来てて、救急車の手配も迅速だった。
後から分かった事だが、今回の出血部位は良くなかったとのこと。しかし、これも前回から20年。医療技術の向上でクリアー出来た。20年前に今回の部位で出血してたらYさんは20年前にお墓に入っていただろう。
20年前は開頭手術を受け、退院まで何ヶ月もかかったのだが、今回は大腿部からカテーテルを通し脳の出血部位に白金製のバネ状のものをセットし、脳での出血はやはり管を通して体外に排出したとの事。
すべてが順調に行き、3週間で退院されたのだそうだ。
最先端の医療の威力が発揮されたわけだ。
現代医療の問題点がマスコミをにぎわしているが、それは技術の問題はなしに、人の問題と言えるようだ。

2005.3.30
おはよう。
このところ、国分寺(徳さんの自宅の最寄駅)で新宿カイロの分室を設けようとして物件探しをしている。
なかなか上手くいかない。
徳さんの当たり前と、不動産屋さんの常識(この世の常識といっても良い)が上手くかみ合わないのだ。
徳さんのささやか願いを伝えるのは難しい。
カイロプラクティックの先生ともなれば、それなりの小金持ちと思われてしまう。だって、もう20年も新宿の地で営業しているのだから、たっぷり貯め込んでいるはずだと。
カイロプラクティックを開業するとなれば、患者さんがひっきりなしに訪れる繁栄を前提に話が進む。
まあ、あけすけに徳さんの実態を正直に申し述べれば、成立する話も壊れるのが目に見えているので、ぐっと我慢してカイロプラクティックの先生らしく振舞ってはいるが、どうなる事やら。
ともかく、当面の課題は金策じゃー。
ホリエモンの話がこの世のモノであるとは信じられない徳さんでありまする。情けないことに。

2005.3.26
おはよう。
背骨は何故歪むのか? たぶんその⑥ (ここら辺が徳さんのいいかげんなところ)
いろんな施療院を渡り歩いてるらしい患者さんが結構いる。
施療士にとっては結構骨の折れる人もいる。
以前施療した先生によってマインドコントロールされているとしか思えない、強烈な、そして歪んだカイロプラクティック信仰者だっている。
徳さんは背骨にほんのちょっとしたお手入れを、そして毎日の暮らしの中でそれだけは止めて下されというご注意をささやかにするだけである。あとは患者さんの自然治癒能力を信じるだけ。
強烈な教祖を求められても、徳さん冷たく対応するまでだ。
あなたの背骨は歪んでるとだけ言われて満足してる患者さんにも問題はある。
脚の長さが左右違いますよ。骨盤が歪んでいますよ。背骨にズレがありますね。といった指摘に満足しないで欲しい。
大事なのは、何故?
でないと、取り組みようがないでしょう?
たかが背骨、されど背骨。徳さんの心境である。

2005.3.23
おはよう。
昨年の30倍という触れ込みは本当だった。
現在徳さんは杉花粉症でお取り込み中である。
額と両頬と鼻の頭は赤く腫れ上がり、目は落ち窪んでしまった。目の周りの皮膚はたるんでしわしわが出来ている。一挙に歳を取ったかの錯覚に陥るほど人相が変わってしまった。
しわでぐちゃぐちゃになった眼輪筋の中に充血した潤んだ眼が置かれている。顔のシンメトリーは大きく崩れ、鏡など見たくもなくなる。そして、突然襲ってくるくしゃみの発作。続いて水のような鼻水の落下。
くしゃみは全身全霊の力でもって行なわれなければいっこうに止んでくれず疲労困憊する。また、気道に負担をかけるらしく喉がヒリヒリして痛い。鼻を強くかむせいか頭がボッーとしてる。
通勤電車の中で発作が起きれば、恥も外聞も無く、一連の儀式を執り行うしかない。
花粉症患者に自由意志は許されない。
これらは徳さんのみの身に降りかかったのではない。
開業以来20年になるが、今年初めて花粉症のため外に出れないという理由で患者さんから予約のキャンセルがあった。それも2名。
杉山の管理と花粉症患者の医療費を天秤に架けなければいけない時期に来てるんじゃぞー。
去年はゴボウのすりおろし汁作戦で事なきを得たが、今年のゴボウは情けない。ゴボウ汁を30倍鼻に注入する訳にもいかんし、、、、。

2005.3.19
おはよう。
確定申告のせいで中断してしまったが、背骨はなぜ歪むのか。
今日は肩甲骨のあいだ、胸椎の3~7番あたりについて。
車の運転席から後ろの座席のものを取ろうとして、あと数センチ及ばず、諦め悪く無理に手を伸ばした時などに肩甲間に鋭い痛みが走ることがある。ゴルフの打ちっぱなしの練習時、りきんでクラブを振り回してしまった時にも同様の痛みに襲われる人がいる。
ひどい場合は腕を動かすこともままならない。じっとしててもうずくような痛みにさいなまれる。
こんな痛みを訴える患者さんの肩甲間の胸椎はきまって左右どちらかに捻じれている。
捻じれている背骨の棘突起の側面を軽く触れるだけで患者さんはうめくか、悲鳴をあげる。
(この検査の時、徳さんに快感が無いといえば嘘になる。)
簡単に楽になる場合が多いが、では何故捻じったように歪むのか?
仕事やゴルフ練習時などに、その捻じれてしまっている背骨の位置を支点としてうつむいていることが原因である。利き腕の関係で筋力に左右差があるため背骨が強い方に回転するのだ。
そうです。
多くの場合、歪みはその時出来たのではなく、気付かぬうちに背骨を歪ませていて、ある時何かの行為がきっかけとなって症状として現れるのだ。日頃が大事。

2005.3.16
おはよう。
なんか久し振りである。
それというのも、あの忌まわしい確定申告のせいである。
なんで税金を取られる立場の者が細かくややこしい計算をしなければならぬのか。
ああ、そうか。若干のごまかしをするためか。節税と称して。
ともかく、小学生の時ならいざしらず、還暦前の徳さんはあの単純な四則計算が非常にうっとうしいものになっている。
おまけに今回はわが愛しの馬鹿コンピューターを駆使して、マニュアル無しでエクセルに挑戦してみた。
これが今回の悪戦苦闘の原因かも知れない。
確かに計算はしてくれる。だが、頼みもしない計算までしてくれたりして、徳さん混乱の極みであった。
エクセルの暴走行為にほとほと疲れた徳さんであった。
この時期に思うこと。
国会で予算委員会に精力を注ぐのではなしに、決算委員会をまっとうにやるよう心掛けたら、この世も少しは道が開けるだろうに。

2005.3.9
おはよう。
えーーと。  うん。  ごめん。
平常の「しりきれとんぼ」はお休みさせて頂く。
確定申告がほとんど手つかずの状態なのだ。
締め切りまであと何日?

2005.3.5
おはよう。
背骨は何故歪むのか?
徳さんは知ったかぶりが嫌いであるが、知識を出し惜しみする奴はもっと嫌いだ。
という事で、徳さんの今現在の知識で少し考えてみる。
レベルは低いかも知れないが、もっとちゃんとした理解を持った人に教わるためにも、今の徳さんの見解を述べるということは必要なことだと思う。
まず、頚椎の1,2番の歪みについて。
これは盆の窪(うなじの中央のくぼんでいるところ)の両脇のどちらか一方にしこりが触診されるので分かる。
しかし、これは頚椎の2番を触れているに過ぎない。
頚椎の1番の歪みは、耳の下、顎関節の裏側を触診して、歪んでいる時にだけ判るという代物だ。
この頚椎1,2番の歪みは環軸関節の歪みとしてカイロプラクティックの世界では重要視される。
不定愁訴の最大原因として、何はともあれ慎重に触診する。
矯正がうまく決まれば、嘘のようにご訴えが解決する。しかし、再発しやすいのも、環軸関節の特徴である。
なぜなら、この歪みは他のそれと違って、ストレスによるものだからだ。
ストレス愛好家の患者の皆様の得意技ともいえる。
では、何故ストレスによって環軸関節が歪むのであろうか?
ストレス下では全身の筋肉が緊張する。内臓の平滑筋だって緊張する。(先日、ある若い患者さんが、内臓がだるいといって徳さんを面食らわせた。)
ところが、頚椎の1,2番だけが環軸関節というように、輪っかと軸の関係になっており狂い易い。
筋肉の緊張をもろにかぶる。
他の背骨の関節は、瓦状になっており、環軸関節ほどにはもろくない。
頚椎1,2番の関節(環軸関節)は炭鉱災害の警告者としてのカナリアのような意味を持っている。

2005.3.2
おはよう。
背骨は何故歪むのか?
神様しか知らない理由というのもありそうである。
奇形とか骨形成不全で背骨が左右対称に出来ない場合などだ。
奇形というと言葉は悪そうだが、奇形児として生まれてない人などこの世にいないことを皆認識しなければならない。己も奇形児の一員であると。
ただ、生存に差し支えのないレベルの奇形児であるに過ぎないと。
自分で認識出来ない微小なレベルでの奇形は、最低、遺伝子レベルでは日常茶飯事の出来事であることを。
奇形がなければ、進化というものはあり得ない。
生き物は、いつも環境へのより合理的な適応に向けて、試行錯誤している。
現在に安住することを決して許さない細胞によって僕達は成り立っている。
ただ、時間の物差しが何万年とか、何千年とかで、認識し難いだけだ。
カイロプラクティックが扱う背骨の歪みは、現在の我々が理解可能な、分かり易い歪みに限る。

2005.2.26
おはよう。
生活習慣病とよく言われる。
まあ皆さん、耳に胼胝が出来ているだろう。
ご多分に漏れず、徳さんもこの生活習慣病の烙印を押され、様々な人からあれこれのご注意を受ける。
ある患者さんは、日頃の立場が逆転する快感からか、徳さんの生活習慣の悪を指摘することしきりである。
そんな時は、患者さんにある種の快感を持ってもらうのが徳さんの仕事だからして、黙って甘受するしかない。
それでも、いっこうに改められそうにないのが生活習慣病の恐ろしさではある。
明日からちゃんと生きることにするから今日のところは許してよ。
分かっちゃいるけどやめられない。という奴だ。
怪我と感染症以外はみな生活習慣病という見解だってありそうである。
この時、忘れて欲しくないのは、背骨の歪みというのも、立派な生活習慣病だという事だ。
背骨が何故、このようにして歪むのか?
納得のいく答えを持っているのがカイロプラクティックの世界だとカイロプラクティックの先生方はおっしゃるけれど、徳さんは、ただ、うふふ、とだけ声を発しておこう。

2005.2.23
おはよう。
患者さんのご自分の病気に対する知識は、施療する側の徳さんより常に秀でていると心していなければならない。
若干の皮肉を込めて。
徳さん、先生面して知っている限りの知識を披露して患者さんの病態の説明をしても、患者さんがそんな事は知ってるぞ、と言われればそれまでである。
個別、ご自分の症状に関してだけは異常な関心を示すのは病人の常である。
テレビなどで健康情報番組があふれ返っているため、皆さん、ご自分だけの健康情報をお持ちである。
それが,ある程度、統一されているのならともかく、昨日の放映と、今日の放映の主張がまるっきり逆の場合だってあるのだから、徳さんの困惑振りにも同情の余地があるというものだ。
もちろん、良心的な番組もある訳でいちがいには言えぬにしても、最低限、体の事をある部分に限って断定するように振舞う発言はマスメディアとして控えて欲しいものだ。
徳さんが健康番組の被害者である、と言うのはこんな訳でござんす。

2005.2.19
おはよう。
バラエティー、旨い物探し、健康情報が最近のテレビの三種の神器として大きな顔をし出して久しい感がある。
別にそれ自体がどうのこうの言う気持ちはないが、目先を変え、手を変え品を変えての裏方スタッフの苦労は並大抵ではなさそうだ。
その姿が見えないだけに見ていてお気の毒な気持ちになってくる。。多分プロデューサーとやらに詰まらん事にこだわれてスタジオの裏で駆けずり回っているのだろう。そして性質の悪い事に、使いつぶされているご本人が自分の仕事に変な夢を託している。
NHKだけじゃない、番組制作における膨大な無駄というものも一度試算してみるとよい。
消費の王国として君臨しているはずだ。
そのくせ、地球温暖化などの問題に対しては正義の尖兵のような顔が出来るのもマスメディアの特典だからして。
衆愚政治というものがあるが、これらは衆愚番組と言ってもいい。視聴者にとっても、番組制作の裏方さんにとっても。
徳さんは仕事柄、健康番組の犠牲者である。この話は次回。

2005.2.16
おはよう。
どうだ、可愛いいだろう。
これがうわさのノンちゃんだ。
檻の中でこれだけ可愛いのだから、夜になって籠から出され自由に振舞う様々な動作のかわゆさに想像が及ぶだろう。
放たれてしばらくの時間、私は鳥よ、とばかり居間を飛び回るが、人工孵化で最初の餌付けを人間によってなされたノンちゃんは、妙に人なつっこく、すぐ我々の肩や頭に止まってくる。耳を突いたり、頭を突いてくれる。かなり痛いがこれもノンちゃんの愛情表現と思えば我慢するしかない。カシュナッツやピーナツなどのナッツ類が好物で、砕いて与えると羽を少し広げながら夢中になってついばんでいる。肩に止まっているノンちゃんに息を吹きかけると体位を逆さまにして、頭を徳さんの肩にすり付けるようにして羽を一杯に広げる。明るい音楽を流せば、ケッケッケとノンちゃん流に歌い出す。この可愛ゆさったら無いぜ。
ひいきの引き倒しなのは判っているが、、、、。
こんな事でもなければ、やってられないぜ、このご時世は。
もちろん、囚われの身のノンちゃんのストレスも甚大なものがあるに違いない。時々、餌の蓋箱にくちばしをカッカッカッと叩きつけおのれのストレスを訴えている。くちばしに多少のひびが入っているような気がしないでもない。人間本意の身勝手さを反省しながらもノンちゃんの飼育を楽しんでる徳さん一家でありまする。

2005.2.12
おはよう。
前回は失礼しました。
サッカーは見たいし、早く帰宅したいはで無様な振舞いをしてしまった。
やはり今回の対北朝鮮戦は特殊な事情、感情の元に行なわれたので目が離せなかった。
良い試合だった。当たりはきつかったが北朝鮮の選手達はフェアプレーに徹していた。
在日朝鮮人のサポーターの試合前後の表情も放映されていたが、いずれの人も好感の持てる応援振りだった。
在日としての生き方の難しさと、過去から続く困難の中で培われた知恵を感じた。
現在、日本と日本人を最もよく知るのは在日朝鮮人なのかもしれない。日本と日本人の良さと悪さをひっくるめて。
今回は、拉致事件以降、母国に対する悪感情の渦巻く中で暮らす在日朝鮮人にMVPを捧げたい。

2005.2.9
おはよう。
今日の仕事を終え、傍らのテレビを見ながらパソコンに向かっている。一向にはかどらない。
もちろん、お酒をちびちび舐めながらなのだが、そのせいではない。
そう、サッカーのW杯、日本対北朝鮮のライブ中継のテレビのスイッチを入れてしまったのだ。
現在、1対1の白熱した好試合である。
今日はこのまま失礼する。

2005.2.5
おはよう。
一般に大手術をしたとか大怪我をした人は、その傷を見せたがる。
まあ、己の闘いの痕跡なのだから、過去の苦労の勲章として他人に自慢したい気持ちも分かる。
その心情たるや、可愛らしく微笑ましくもある。
カイロプラクティック士がそれを見たところでどうなる訳でも無いのだが。
Wさんもごたぶんにもれず「よ!先生!見てやってくれよ!」と言って、下着を威勢良くめくり上げる。
Wさんは生粋の江戸っ子だ。言葉はぶっきらぼうだが、人の良さ丸出しである。
現れたWさんの左側の背中には直径10センチ深さ5センチの肉と骨をえぐり取られた窪地があった。
大手術を受けたのだ。
Wさんは若い時に肺結核を患い、その後治癒していたのだが、70歳を迎える頃、肺膿瘍になってしまったのだ。
現在、肺活量は通常の人の3分の1に成ってしまった。好きだったお酒も控えざるを得ない。
はたから見れば痛ましいのだが、ご本人はアッケカランとしている。ここがWさんの真骨頂なのだが、ご本人は一向に気にしている様子が見られない。
ともかくその傷跡を見せられた。
徳さん、びっくり。
そこにはきれいな傷跡があった。血色も良くきれいな皮膚があった。
皮膚のただれやひきつれも無く、ツルツルした血行のいい傷跡だ。
聞けば、手術を担当した医者に、術後、ともかく傷口を洗うようにと言われ、毎日、風呂場でシャワーをかけたそうな。
生理的食塩水などでなく、塩素の強い東京の普通の水道水を。
その単純な作業を続ける事によって、形成外科の先生も感嘆するようなきれいな傷跡が出来た。
前々回のMさんの鼻の洗浄話につながる話である。

2005.2.2
おはよう。
患者さんの擬態語に悩まされる事がよくある。
身体の感覚はその人だけのものであり、他人にはなかなか伝わりにくいものがある。
喜びや楽しさは共有出来ても、苦しみや辛さはは共有出来ない。同じ苦しみの中に存在しない限り。それも同一と言う事はあり得ない。
人と共有出来ない代表者は「痛み」である。
その表現に徳さんは時々悩まされている。
「膝がシミシミ痛い。」え!ミシミシじゃないんですか?と言っても無駄である。「私の痛さはシミシミとしか表現しようがありません。」と昂然と語られては徳さん、引き下がざるを得ない。
「腰がズーズー痛い。」と言われれば、ああ、南無マンダム。仏様のご託宣として有り難く拝聴するしかない。
先日、出くわした奇怪語。「腕がゾワゾワ痛い。」
もう、徳さん、己の俗物振りを反省するしかない。

2005.1.29
おほよう。
Mさんの10年前の話。
その頃Mさんはひどい蓄膿症を患った。
どの位ひどいかと言うと、レントゲン写真の映像が真っ白だったそうだ。
その理由は門外漢の徳さんには分からぬが、最初かかった大病院の医者は癌を疑い徹底的な検査をしたとの事。結局、重度の蓄膿症と診断され、手術を勧められたそうだ。
手術すれば完全に治るのかと聞けば保証は出来ないが、との返事。
当時もう高齢だったMさんは、手術の負担を考えてどうしても手術したくない。
かかり付けの主治医に相談したところ、わりと近所の耳鼻科医を紹介された。
そこでやられた治療は徹底した鼻の洗浄。
最初の頃の洗浄では、驚くほどの量の膿が出てきたそうである。そして徐々にその量が減っていった。
手術から逃れたい一心でMさんは何ヶ月も、休診日を除いて毎日洗浄に通った。
だいぶ症状も改善した時点で、最初診察を受けた大病院の先生に経過報告したところ「Mさん、いい先生に出会われましたねえ。最近の医者は鼻の洗浄など出来ない人が多いのですよ。」と言われたとの事。
この先生の言ってる事が本当に耳鼻科医の現況を述べているのかどうかは分からぬが、この先生は二つの事を考えたに違いない。
①オレは耳鼻科医として鼻の洗浄が出来るのだったっけ?出来たとして、オレは鼻の洗浄を軽く見過ぎていたんじゃないか?。(なにしろオペを不必要にしてしまったもんな。)
②これからはうちの医学生達に鼻の洗浄技術をしっかりと身に付けさせよう。
高度高額医療の前に、低級(でも本質的)低額医療の徹底の重要性を訴えるような話である。

2005.1.26
おはよう。
徳さん、商売柄、患者さんの叫び声には慣れている。冷淡と言ってもいい。
お上品と思われるご婦人にしても、「痛いわ、痛いわ。」とおっしゃってるうちはたいした痛さではなく、「イテェー。」と叫ばれた時、初めて、ああ、痛いんだろうな、と想う次第である。
それにしも、上品な環境で育ったであろうご婦人が、あの野蛮なプロレスラーたちの言語を何処で身に付けたのだろうか?多分、その上品なご婦人は、今までただの一度としてそのような教育を受けてないはずだ。なのに何故?
徳さん思うに、人間は他の動物と同じ様に、元々が野蛮な生き物で、危急存亡の時、今までのカモフラージュを脱ぎ捨てるのだと。表層的な教育はメッキに過ぎないとも云える。
プロレスの経験の無い人が、痛さに耐えかねて、まいったしるしとして「パン、パン」とベットを叩くのも、生育暦には関係なさそうである
裸の付き合いなどと言うくさい言葉があるが、患者さんと想いもかけず裸の付き合いをせざるを得ない徳さんは、幸せ者と言うべきなのか。

2005.1.22
おはよう。
一昨日は出張日で、東久留米にある、地域での障害者の自立生活を支援するNPO法人の事務所を訪ねた。月2回の訪問であるが、徳さんはほとんど遊び感覚(ごめん。)でカイロプラクティックの施療を障害者や介護者にしている。
施設で管理された生活を強いられる事に居たたまれなくなって、人として当たり前の地域での生活を目指している障害者を支援している団体である。
当事者である障害者と支援者である介護者がワイワイガヤガヤとにぎやかに話し合って物事を決めていく。様々な問題に出くわすにしろ、みな、生き生きと活動している。
ところが、どうもここ最近の皆の顔付きが変なのである。
介護者や事務職の人達の顔付きに生気がない。
疲れ果てているのだ。
何人かは小さな空間で倒れこむようにして短い睡眠を取っている。
聞けば、昨今の国、自治体の財政難を背景にして介護体制の見直しが行なわれ、障害者支援の規模が縮小、支援内容の細分化が行なわれている。おまけに、その一々に対して書類が要求される。
事務量が一挙に増えたのだ。
そして、当然彼らはこの新制度に反対で厚生労働省に対しても抗議行動をしたり交渉をおこなっている。それもかなりハードな日程で。
おまけに今回はグループ内で風邪がはやり、メンバーの数人がダウンしてしまった。障害者に風邪をうつせば命に関わる人もいるので、風邪をうつす訳にはいかない。ローテーションから早めに離脱せざるを得ない。残ったメンバーが穴を埋めざるを得ない。
厚生労働省のお役人さんは、現場のこんな苦労の実態を知らぬまま、お上の意向を振りかざす。根拠は財政難。
でも、彼らは根っからのお役人。
煩瑣な書類を作りあげる労力の無駄対して経費を支払う事には無感覚。
無駄を排しようとして、新たな無駄な労力を強いている。
この無駄な支払いを介護の実行に廻せば、財政の、今より有効な運用となるはずだが。

2005.1.19
おはよう。
徳さん、この一年は大変そうである。
無謀な事を考えている。
徳さんの居住地である国分寺にカイロプラクティックの分室を設けようとたくらむ事にした。
新宿の施療院だけでも維持するのに青息吐息なのに、、、、と徳さんも思う。
年老いた母がこのところ急速に体力の衰えを訴え出してきた。
今のままのやり方であと1,2年は何とかなるだろうが、4,5年先となると徳さん一家は悲惨な状況になるのが目に見えている。徳さんは今、母親と妹の3人暮らしである。徳さんが57歳だからして、その年齢構成は知れるだろう。
壮老介護となる訳だが、その壮年がだいぶ怪しいので問題となる。
今までのやり方というのは、ひとえに徳さんが悪いのだが、仕事を終ってもグダグダ施療院で時間を過ごし、時には、というか、ちょくちょく赤提灯に立ち寄ったりして、毎日10~11時頃帰宅して晩飯を喰って寝るというやつだ。この時間母親は眠くて朦朧としている。何とかしなくてはならない。
そこで自宅付近での分院の話が出て来た。半分ぐらいは何とかしろよ!という事だ。
もっともである。
そんな話を夢物語風にしていたところ、妹が私も多少、商売めいた事がしてみたいとのたまわれる。
この際、併設してやってみようか、という事になった。何の商売をするのかも明確でないままに。
ここら辺が一番無謀なところなのかも知れない。
しかし、無理をしないで御気楽にと、常々患者さんに言っている徳さん、あまり頑張らずにやって行こうと思っている。
清貧とまでは言わないまでも、今日の日がそこそこ生きられればいいや、という学生気分が抜けないまま50代後半を迎えてしまった報いで貯えも無い。まして、併設しようとする商売のアイディアなぞ搾り出しても出そうも無い。
物好きな誰か、資金を出せとは言わないから、徳さんに手頃なアイディアを教えてやって下され。

2005.1.14
おはよう。
テレビの画像だけでは伝わりきれない、インド洋大津波の惨状を週刊誌などの写真が伝えている。
犠牲者の身元確認のために掲示されている遺体の写真群は、着衣を剥ぎ取られ、性別以外は個々人を識別出来ないほど損傷を受けている。濁流に飲み込まれ絶命する寸前の、それが唯一出来る抵抗だったかのように両手を挙げたままの姿勢の遺体も多くある。
これらの写真群は人類に人間をやり直せと語っているとしか徳さんには思えない。
他の声が聞こえてこないのだ。

2005.1.8
おはよう。
この新年、世界中の祝い事はタブーとなった。
7日、新宿での仕事始めの朝、施療院付近のビルの下を歩きながら、10メートル以上の高さの津波を想像してみた。
乱立するビルの3階部分を軽く超える高さで、己の視界全ての範囲で波が向かってくる。
圧倒的な質量である。
そして、瞬時に己も濁流に巻き込まれる。
泥水の奔流の中でもみくちゃにされながら、意識を失っていく。
神はいない。
少なくとも、徳さんが神だったとしたら、このような犠牲者の選び方はしない。
神を口実にして、己の行動の正当さを競うのだけは止めなさいと、それこそ神がいるのなら、それだけは神が声高に、今この時点で叫んでいるような気がする。

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