しりきれとんぼ2004年後半

2004.12.29
おはよう。 今年最後の「しりきれとんぼ」となる。
この1年を振り返れば、ろくな事しか思い出せない。
地球はうめき声を上げるし、世界情勢は泥沼状態である。
日本国内の話に限っても、もう、うんざりだ、という話で煮詰まっている。
天災もあったし、性質の悪い犯罪が目白押しである。政治の世界も右傾化を加速し、マスコミは情けない提灯持ちに成り下がっている。
そんな中で、徳さんにとってうれしい事が先日あった。
生まれて初めて花束と言うものをもらった。左の写真がその時の花である。(話の中にギャップを感じる人も いるかとも思うが、日常の些細な事と世界が拮抗できると言うのが徳さんの夢だからして、許してやって欲しい。)
出張先の出来事である。
施療を続けて夕刻になった頃、そこの責任者が「6時になったら、みんな仕事を中断して集まって下さい。大事な話がありますので。」との通告。徳さんはその団体の活動に部外者なので、やはり部外者の介護用品関係の人の施療をしようとしたら、「徳さんも来て、徳さんにも関係のある重大な話なので」と呼び寄せられた。
結構、緊張して席についたら、突然照明が消された。
はめられた。
再び照明がついた時に、目の前にデコレーションケーキがあって、徳義さん誕生日おめでとうと書いてある。
本人も、家族も気付かなかった誕生日。
そしてお決まりのハッピバースデーツーユーを皆が歌ってくれてる。
徳さん、そこまでは多少ウルウルしたとしても、何とか持ちこたえていたが、次がいけなかった。。
Hちゃんが「ドクギサン、タンジョウビ、オメデトウ。」と、つっかえながら、この写真の花束を徳さんに渡しながら言うのである。Hちゃんは自閉症児で、普段の日常会話もままならない、自分だけの世界を生きているお嬢さんである。
もう駄目だ。
だれが吹き込んだのか知らないが、反則技である。
トクギではなく、ドク(毒)ギさんと呼ばれて、かえって胸に詰まる想いをしてしまった。

2004.12.25
おはよう。
どうも今年は年末年始の気持ちに入れないというのは徳さんだけではなかろう。
暮れも押し詰まったのに何の準備にも取り掛かれていない。
暖か過ぎる。
たまに冬型の気圧配置になって味あわされる気温差に面食らう事があったとしても、基本的には暖冬だ。
地球温暖化の魔手は確実に忍び寄っている。
人間は地球のほんの表面にだけ生息を許されていて、気温、気圧、湿度などの変化は人間にとっては激しいものであっても、地球物理で考えれば些細な変化なのかの知れない。
だから、それが自然の成り行きなら生き物の運命として甘受しよう。
みんな一緒に滅びましょう。
何も知らずに滅んでいく他の生物と、知性とやらでそれを予見できる人間と、どちらがより不幸かは分からぬが、、、、、。
しかし、それが人為的なものであるなら話は違ってくる。
あがくしかない。しかし、世界は足掻いているとは言い難い。
日本の国会で地球温暖化について議論されたと言う記憶が無い。
京都議定書があるが、これだって二酸化炭素の排出量の平等化を目指したもので、方向違いだし、第一歩みが遅すぎる。
世界一の二酸化炭素排出量を誇るアメリカが批准しない。
大量破壊兵器を隠し持っているという、捏造された理由で持ってイラク戦争が起きるのなら、地球防衛軍はただちにアメリカを空爆しなければならない、という理屈になる。
どうも、人間は、そして国家は、目先の事以外に思いが至らぬ愚か者であるらしい。
今、地球は戦争どころではないのだ。
果かない動物としての人間を考えなければならないと思う。

2004.12.22
おはよう。
徳さん、休みの日ほど疲れがひどい。
年老いた母が、ご本人は気持ちの上では頑張っているのだが、実効的な家事が出来なくなっているため、いきおい休みの日は家事労働まみれになってしまう。一人暮らしが長かったため、整理整頓を除けばそれなりにこなすようになっているというのが不幸の始まり。
とはいっても、家事労働の一部はそんなに嫌いでもないし、面倒でもない。小さな発見でもあれば喜んじゃってる。むしろ、すすんで家事労働に励んでいる面もあるようだ。
だから、休みの日の疲れは誰にも訴える訳にはいかない。おまけに、夕刻からは公然とアルコールをちびちびやりながらなので、文句は無い。
ただ、夜の9時を過ぎれば眠さに負けて何も出来なくなってしまう。
日頃の午前様振りからは想像も出来ないていたらくに陥ってしまう。9時就寝なんてのはざらだ。
そんな時は、午前3時ごろ目覚めてしまう。こっそり、またウィスキーに手を出してしまう事もあり、と言っておこう。
ある日、そんな風にして、そんな時間に目覚めた時、ヘリコプターの音が聞こえてきた。
我が家の上空に飛行物体が飛んでいるのはめずらしい事ではない。
徳さんの住居は国分寺にあり、横田基地を拠点とした不定期な飛行物体はちょくちょくある。
これだって不愉快な事態だが、今回は様子が違う。
ヘリコプターのパタパタ音が一向に止まない。目的地を目指しての飛行ではなく、これは明らかに旋回である。
事件でもあったのかと翌日の報道を注意してたが、そんな様子も無い。
我々の知らない所で何が起こったのか?何をしようとしたのか?知らないうちに何かが成されている事だけは確かだ。

2004.12.18
おはよう。
先日、消防署の人が当院にやって来た。
この新宿の片隅で開業して20年。初めての防火指導だ。数年前の歌舞伎町の火災を受けて、ようやく1.5キロ先の新宿1丁目に達したという訳なのだろう。
何故こんなに時間が掛かっているのか?
それは防火指導のあり方にある。書類先行なのだ。それも膨大な量の。
防火の係りの人を特定し、管理の人を特定し(これだって違いも意味もよく分からない)ハンコを押し、防火計画書を作成しハンコを押し、防火計画のこまごました事に消防法の第何条が適用されるといった説明を読んだという証拠の書類まである。6枚ほどの書類をもらった。2枚は手元に置き、2枚は消防署に送付し、2枚はマンションの管理人に提出してくださいという。
内容もお役所用語でチンプンカンプン。これじゃあ、書類が自然発火してしまうわ。
徳さんも人が悪い。「この書類、創るの大変だったでしょ。」と皮肉めいて聞いてみた。
消防署のおっさん、その時だけニタリと笑い「ええ、3ヶ月もかかりました。」とさ。
事は簡単なはずだ。
問題箇所を指摘して改善命令を出し、一定期間を経た後再検査すれば良いだけだ。
証拠としての写真撮影をするなどの権限を持たせる法整備をし、改善命令違反に対しての強制執行権を与える法整備をすれば良いだけ。そして法を悪用する執行側がいるとしたら、重い罰則を用意すればいいだけの話。
無駄な書類作成という事に関しては、徳さん、めったに遭遇しないが、月6回出張している障害者の自立支援をしている団体では、こまごました書類作成に労力を費やされている。書類作成のための膨大な労力を、本来の介護にまわせば、問題の財源難もかなり改善されるだろうに。

2004.12.15
おはよう。
今年はとんでもない天災が日本を襲ったが、年の瀬になって大きな火災によって死者がでた。
人災である。放火だから当たり前か。
当然、消防署から「ドンキホーテ」に対しては改善勧告がなされていた。
なのに何故、惨事にいたったのか。
まず、放火犯がいてこいつが第一に悪い。改善勧告を平然としてやり過ごした「ドンキホーテ」が第二に悪い。
しかし、底流にある問題は役人としての消防署員のあり方にあるような気がする。消火現場に携わる消防署員の事を言っているのではない。防火に携わる消防署員の事をいっている。多分同じ人なのだろうが。
何を徹底しなければならないかを知っている消防署員が、現行法の前に立ちすくんでいる。
一度出火すれば大惨事に至る事が分かっていても、強制力を持った命令が出せないという現状に対して、強制力を持った法律を現場から要求するといった動きを見た事がない。それこそ、族議員を育てて。あ、そうか、利権に絡まなければ族議員というのは成り立たないんだったっけ。
強権の嫌いな徳さんでも、この手の強権は必要だと思う。
抜き打ち検査をして、改善命令を出し、期限までに改善が出来なければ即刻営業停止にする権限が。
きっと彼らは、下からの突き上げという事を犯罪のように思っているのだろう。
こんな事を言うにはちょっとした訳があって、それは次回。

2004.12.11
おはよう。
施療中に患者さんと一緒になって笑い転げることがある。
肩関節の周辺を緩めようと、仰向けになったKさんの手首を持ち上げ、小刻みに腕を振り回したときの事である。
突然Kさんがケタケタと笑い出した。一向に笑い止む気配もない。もう、のたうち回っている。
徳さんには何の事か分からない。
施療の手を休めて、なんとかKさんから聞きただした。すると、
「だって、二の腕のお肉がプルプルプルンと揺れるんだもん。」と笑いを止めずにむせ返るようにしておっしゃる。
それを聞いて、今度は徳さんの笑いが止まらなくなってしまった。
Kさんの当面の目標はドラム缶の体型になる事であるそうな。(一瞬、あれ!と思うが、現在のKさんの状態はビヤ樽と呼ぶそうで、ビヤ樽からドラム缶へというのは、それでも志としては高いのだそうな。)
なんと謙虚なKさんであることか。

2004.12.8
おはよう。
いろんな事情があって、数年間施療の出来ない患者さんがいる。
Eさんもその一人。
東京の施設から、遠い他県に、なかば強制移住のように移っていった、障害者の一人である。
先日、久し振りにその地を訪ね、施設の許可をもらって、附属のリハビリ室のベットを使わせてもらい、何年か振りで施療をしてみて驚いた。
以前、出来ていた体位が出来ないのだ。
明日の施療という事が出来ないため、無理は出来ない。ある程度までの施療で引き下がる他ない。
継続する事の意義の再確認と、おざなりの施設のリハビリに憤慨した徳さんだった。
ちなみに、その施設のリハビリ設備は立派なものでありました。

2004.12.4
おはよう。
やがては『患者列伝』にご登場願うが、Tさん(芸名はまだ無い)はとんでもない武勇伝をお持ちである。
体調を崩して入院した際、看護婦さんの腕を噛んでしまったのだ。
その事件の後、精神科の治療も受けさせられたそうだ。
この話を聞いた時、徳さんはにわかには信じられなかった。
90歳にならんとするTさんは、とにかく人柄のよいおばあちゃんで、カイロの施療中にかわすTさんとのほのぼのとしたやり取りに、そして、付き添ってる娘さんが話すTさんの過去の暴露話に、徳さん、随分と救われた。
そのおばあちゃんが何故?
聞いてみると、入院中のTさん、家で過ごすのと同じように、昼間でも眠くなったら寝ていたとの事。
高齢者としては当たり前の御振舞いである。
まして入院中の昼間の退屈な時間をベットの上で横たわっていれば、誰だって眠気に襲われないはずはなかろう。
ところが、Tさん担当の医師はTさんに睡眠障害の診断を下し、Tさんを車椅子に乗せ、ナースステーションの近くから離れないようにし、Tさんがコックリし出したら体を揺さぶってTさんを起すように看護婦さんに命じた。
眠くなる度に起されるTさんは、ついに看護婦さんの腕に噛み付いた。
こんなストレス下に患者さんを置く事だけでも医師失格の資格充分である、と思うのは徳さんばかりではなかろう。
Tさんに腕を噛まれた看護婦さんはTさんの担当医をこそ訴えるべきである。
高齢者だけでなく、一般に入院患者は夜間、不安感で眠りの浅い人が多く、明け方になって、看護婦さん達が立ち働く物音を聞いて、はじめて安心し熟睡すると聞く。そんな患者さんサイドの事情にTさんの担当医が無知だったとしたら、やはり、それだけで医師資格剥奪じゃ。
退院後、施療に見えたTさんは、以前と変わらぬ印象を徳さんに与えてくれた。

2004.12.1
おはよう。
民間療法の現場の1つである当新宿カイロでは、現代西洋医療に対する不満を聞くことがよくある。
(これは逆も言えるわけで、カイロプラクティックなどの民間医療の失敗作が整形外科に持ち込まれ、医師による民間医療への不信感を根強いものにさせているようだ。まあ、お互いの連携プレイが成り立っていない現在、お互いをののしり合うのも将来への道なのかも知れないが、患者さんはたまったもんではないよな。)
一番多い訴えは、辛さを訴えているのに、検査結果に現れないと、「何も異常はありませんでしたよ。大丈夫ですよ。安心して下さい。」と宣告されることだ。じゃあ、辛い患者さん本人はどうすればいいのだろうか?
今、目の前にいる患者さんの苦痛は確かなのに、何故そんな結果がでるのだろうか?
残念なことに、現代西洋医学の多数派は、器質的な、物としての異常にばかり目が行ってて、機能低下に対しては鈍感なようだ。
細胞の一部が壊れて、物質の出し入れを管理する細胞膜がいかれ、細胞内の物質が血液に流失した時点で大騒ぎする。そのはるか以前で機能的な異常があったはずなのに。
検査結果には出ない時期を注目してくれというカイロプラクティックの主張にも聞くべきものがあると思うがなあ。

2004.11.27
おはよう。
患者さんにうまく伝わっているかどうかは分からないが、新宿カイロのモットーは〝いいかげん〟である。
しかし、いいかげんと言うと、オザナリとか手抜きというニュアンスが入ってしまうようなので、〝ほどよい〟と言い換えても良い。湯かげんいかが?と聞かれて「いいかげんですよ。」と答える、その〝いいかげん〟である。
この画面のタイトル『いいかげん』は皆さんの邪推が正しいとは思いますが、、、、。
実際、自分の体にほどよく手入れを施すというのは、至難の技である。
完全な健康体というのは机上の空論に限りなく近い代物なので、ひとたび完全健康体であらねばならぬ強迫神経症に罹ると、無間地獄に陥ることになる。いつまでも自分が理想とする健康体は、はるか彼方で、おいでおいでと怪しい手招きをしている。こんな構図の中で誰が幸せになれるだろうか?
ほどほどにダメで、ほどほどに不健康で、ほどほどには体のお手入れをしているよ、といった変な居直り自信持ちあたりを患者さんに要求する徳さんは、施療士として失格者なのかなあ。

2004.11.24
おはよう。
徳さんは患者さんに強い要求をしない。
これは徳さんの性格による所が多いのだとも思うが、健康である事を脅迫するかのような、最近のマスメディアの動きにいささか反発する心も多少は影響している。
不健康を愛せ、とまでは思わないが、己の不健康をいとおしむ心があっても良いではないか。
健康と不健康の二分法は危険な、きな臭さを感じてしまう。
いささかなりとも不健康な部分を抱えている人が大多数なはずなのに、些細な不健康までをもやり玉にあげて脅し上げるさまは、健康産業の提灯持ち野郎とののしりたくなるような振舞いである。
健康産業に従事している徳さんがそう思うのだから、これはかなりのレベルの汚染と思ってよい。
健康番組を担当しているスタッフが己の不健康を棚上げにして、したり顔で番組を作っているさまは見ていて滑稽である。夜のご乱行を視聴者に公開した上での健康番組進行をしては如何。
百点を目指して、かえって体を壊す人はかなりの数に登るはずだ。新宿カイロにみえる新患さんにも散見する。大げさに言えば健康強迫神経症の被害者である。
カイロプラクティックは生き物の自然治癒能力を謳っている。
背骨の矯正などと偉そうな事を言っているが、やれる事はその自然治癒能力の環境造りでしかない。己の生き物としての能力を信じなさいと。自らのその能力の邪魔をしないような生活を心掛けようよ、といった、結構穏健派の主張である。世間の理解とは違って。
でも、カイロプラクティックの敵はカイロプラクティック業界内部にもにいる。という現実もある。
俺が治してやるとか、俺の所に何回来れば治るとか。患者さん自身の治癒能力を無視したような言動を伝え聞く。
健康志向も程ほどに。

2004.11.20
おはよう。
新宿カイロプラクティック院に良さと言うものがあればそれは何か?
世の類似行為の諸先生方と一線を画して、徳さんは自分の健康管理に対して不真面目である。
当然、様々な病魔に襲われている。
成人病は登攀し尽くしているといってもよい。
他所の施療の先生にかかる時の自己申告は多臓器の不全、といってはばからない程である。
この利点はなにか?
同様の訴えを持っている患者さんの苦痛を身をもって体験している事である。
それがかなわぬほど患者さんの病状が悪化していたとしても、最低限の理解は出来るほどに、想像力で患者さんに同調できるほどには徳さん立派に不健康である。
これって、結構大事だと勝手に思い込み、不摂生、不養生を平気な顔してやり過ごしている徳さんでありんす。

2004.11.17
おはよう。
栄養を貯えられない脳は不断に血液を要求する。
その贅沢な脳に血液を送り込むのが頚動脈と椎骨動脈だ。
この二つの動脈には共通した特長がある。
心臓と脳の距離が短いため、脳に負担をかけぬ様、首と頭の継ぎ目で2回ほど直角に折れ曲がっている。そのお陰で脳に送り込まれる血圧は適当となり、我々の脳はドクンドクンという拍動に邪魔される事なく生活できるようになっている。
椎骨動脈は頚動脈よりもっと特徴を持っている。頚椎は左右両端に穴を持っていて7個の骨が縦に連結されている。骨にあいてる穴に誘導されて頚椎を登っていく。この時、整然と並んでいるはずの頚椎に歪みがあったらどうなるか。ちょっと想像しただけでも怖い事になりそうだ。
椎骨動脈により送り込まれる血液は、脳の後と脳の底(芯といったほうがいい)に、そして通り道で枝分かれして内耳などに流れる。
脳の後は視覚領野と小脳がある。、眼球は顔の前にあっても視覚に関する情報処理は脳の後部でやっている。小脳は筋肉の運動バランスを調整したり、平衡感覚を統制している。
脳の芯には原始的な脳がある。脳下垂体は諸ホルモンの司令塔である。視床下部は自律神経と喜怒哀楽など基本的な感情を司っている。
椎骨動脈は動物としての脳を受け持っているといってもよい。
椎骨動脈のまっとうな流れ無しに健康はありえない。

2004.11.13
おはよう。
前回の続きのような話だが。
お医者さんが素通りしてて、カイロプラクティック士がこだわる問題の一つに椎骨動脈の血行不全がある。
椎骨動脈血行不全症とかバレー・リュー症候群と呼ばれている。
お医者さんが学ぶ教科書にもちゃんと記載されてる。
インターネットで調べてみると、その手術法まで出ている。怖い病気なのだ。
なのに、なぜ、徳さんはお医者さんが素通りしてると言うのだろうか。
カイロプラクティック士は日本では資格として認められていないので、患者さんに病名を告げる事は出来ないが、自分が医師ならバレー・リュー症候群として対応するな、と思われる患者さんに多く出くわす。
いくら徳さんが偽物だとしても、その全部が見立て違いと言う事はなかろう。
なのに、そのうち誰一人としてお医者さんから椎骨動脈を問題にした見解を聞かされた人がいないのだ。
椎骨動脈に注目しながらカイロプラクティックを施術しての結果は決して悪いものではない。
むしろ、面白いように患者さんの症状が改善していく。
カイロプラクティック士としての現場感覚としては、お医者さんが対象療法に終始してて、その本態に真剣に取り組んでいない、もしくは取り組む時点が遅すぎる気がしてならない。
難しい手術が必要な時点までお医者さんが無関心なのが椎骨動脈だ。
予防医学としてのカイロプラクティックの意義を訴えてやまない徳さんでありまする。
次回はその椎骨動脈について。

2004.11.10
おはよう。
徳さんは論理的な事が苦手である。
馬鹿と言われればそれまでだけど、人間、持って生まれた資質とかがあって、生半可な努力ではどうしようもない地と言うものがある。
幸いにしてカイロプラクティックは、言い換えれば生き物相手の仕事は、論理を要求されない。
経験論と、偉そうに言えば観察力がものを言う。恥ずかしげも無く言えば、それに若干の愛(やっぱ、かなり恥ずかしい!)があれば申し分ない。
カイロプラクティックに論理が無いと言えば、カイロプラクティックに従事する諸先生は憤慨されるだろうが、そこに論理があるとしたら、背骨と神経の関係に対する物言いだけである。
要するに、たいした事じゃないのだ。
ただ、現代西洋医学が些細な事として通り過ごしてしまっている事の中に、健康を考える重要な部分がありますよと主張しているだけだ。それが証拠にカイロプラクティックの主張は医学書にちゃんと記載されている。

2004.11.6
おはよう。
徳さんは自分で「ああ、俺はプロではないなあ。永遠にプロには成れないなあ。」と思うことがよくある。
20年近く開業してて、いまさら何を言うかと自分でも思うが、実感なのだからしかたない。
誇り高く宣言させてもらえば、徳さんは修行時代も含めれば25年近くカイロプラクティック施術を患者さんに施している訳だから、嫌でもまずまずの技術者に位置する。位置するはずだ。そうでなければ困ってしまう。
あれれ、もう、誇り高く無くなってしまったようだが、、、、、。
(カイロプラクティックは科学を標榜している。言い換えれば、普遍を目指しているので、誰でも一定の訓練を受ければある水準を獲得できる事になっている。)
しかし、技術者としてはまあまあでも、どうも徳さんの意識がなあ!
時々、患者さんにプロ意識を持てとお説教される時さえある。特に、営業系の人々はいらいらがつのっているようだ。
もっともだとも思うが、今日喰えればいいさ、という貧者の発想から抜けきらない。
家族には不安と迷惑を掛けているな~、と、深く反省しつつもである。
過去を振り返れば、当初新宿カイロは営業時間を過ぎれば、居酒屋新宿カイロに変貌してた。
終業まぢかに施療にみえる患者さんは、焼き鳥など酒の肴、それに1升瓶、缶ビールをたずさえて、何が目的なのか分からん状態だった。
しかし、十数年前にオヤジが急死し、広島に住んでいた年老いた母親を東京に呼び寄せ一緒に住むようになって、この愛すべき慣行は消滅してしまい、徳さんの品行も格段に上向いた。
でも、当初の気分がまだ残っているとみえて、時々、患者さんと赤提灯にしけこむ事を続けている徳さんでありまする。

2004.10.30
おはよう。
意識的に創ってしまう不良姿勢がある。
ほとんどの患者さんの不良姿勢は無意識のうちに身に付けた癖によるのだが、中にはAさんのように自ら進んで猫背になっていく人もいる。確信犯である。
昭和初期に生を受けたAさんは、思春期の頃、当時の女性としては背の高い方に属していた。
Aさんは背の高いことを気にしてひたすら身をかがめていたと当時を振り返られる。
どうやら当時の男共は、生意気にも己より背の高い女性を敬遠していたらしい。
情けない男共の意識だが、この場合そんな男共の意識をAさんが直接受け止めたのではなく、Aさんのお母さんや、周囲の人々の、ある意味では心有り過ぎる、その実、心無い言葉によって、Aさんのあるがままの自分を否定された結果のAさんの振舞いである。
他に、胸の大きいのを苦にして、胸を隠すような姿勢を続け、強い肩口の猫背になってしまった患者さんもいる。
いずれも、当時の社会意識が、それこそ無意識に強制した悪行である。
あるがままの貴方で良いんだと、一言いってくれる周囲があればAさん達の不良姿勢は出現しなかった。
Aさん達の、当時の涙ぐましい努力に比べれば、最近の若い衆は、なんと大らかに成長してくれた事か。

2004.10.27
おはよう。
なんか、日本列島、メチャクチャである。
酷暑、台風、そして今回の地震。
自然の猛威といえばそれまでだが、、、、、。
この間、映像として叩き込まれたのは、不気味な茶褐色の色合いである。
なだれ込んだ土砂。泥に覆われた家屋。めくれあがったアスファルトの下に剥き出しになった土塊。
人間は地球のほんの薄っぺらな表層の上で生きている事を、嫌と言うほど知らされた。
そして、その薄っぺらな表層の上で文明を築く事にあくせくしている。
そんなおのれ達人間の健気な姿を、謙虚な生き物として、共に生きる者として、共有したいと願っているのだが、能天気な連中は地球の表層をかきむしるように、下劣な最先端武器とやらでドンパチやっている。
彼らは地球の敵だ。
とんでもない災害を前にして、これが徳さんの第一印象でした。
なんか、患者さんを減らす方向でしか、役に立たない物言いでした。

2004.10.23
おはよう。
「触られる所が全部痛い!」
たとえば肩こりだけがひどくて堪らない、と訴える患者さんを施療していて患者さんがこんな風に叫ぶ事がよくある。患者さんにとっては思いがけない事だが、カイロプラクティック士としては当たり前の事だ。
体は一箇所だけが単独で悪いという事はありえない。
たとえ、それが一箇所の怪我であろうと、その怪我にあわせて全身が反応する。普段使われる事のあまり無かった筋肉が動員されたり、神経のフィードバックで関連痛を起こしたりしている。
患者さんが一箇所だけを訴える事にも理由はある。
痛みの性格上、最上位のものだけが患者さんの苦痛を独占する。横綱だけが発言権を持っていて大関以下は訴えを無視される。(横綱が引退すればすぐさま大関が大声を上げる。かくして体調の良い人ほど些細な事で大騒ぎをする仕組みとなっている。序の口クラスで騒いでる人は他人から見れば幸せ者でも、ご本人にしてみれば横綱クラスの人と同様に世界一不幸な苦悩者なのだ。)
もう一つの理由は、苦痛の閾値という問題がある。
これは湯船のお湯の量を考えると分かり易い。この場合お湯が痛みの素である。
ザブンと体を沈めてお湯が溢れ出さない程度が適当な湯量で、浴槽の縁から10センチ以上低いはずだ。この位なら痛みの素も存在を主張出来ない。
まだ湯船から溢れてはいないが身を沈めるとお湯が溢れるというのは、ご本人は自覚してないが、体は確実にやられている状態だ。
残念な事だが、ご本人が苦痛を感じるのはお湯が浴槽の縁を越え、お湯が溢れ出した時点になってからの事だ。
苦痛を感じた時点が手遅れとは言わぬが、感じ取れない湯量の増加を想像できるように成りたいものだ。

2004.10.20
おはよう。
少年時代虚弱体質だった徳さんは当然ながら喧嘩が弱い。
少年時代にやった取っ組み合いの喧嘩に一度も勝ったことが無い。
だが、しかし、数々の敗北の歴史を今振り返ってみても、悔しさはあっても、屈辱感を味わった事が無い。
負けたとは絶対に言わなかったし、後を見せなかった。物理的には負けているのだが、いつまでも降参しないため、いつの間にか誰かの仲裁が入り、喧嘩相手も勝利感の無いまま喧嘩を終えたように思う。
まあ、旧き良き時代の子供の喧嘩といえばそれまでだが、コンビニでの立ち読みを注意されて、カッとなって注意した店員を刺し殺すなどという、加減を知らない、歯止めの無い暴力などは想像もしない時代だった。
存分に、安心して喧嘩が出来た。喧嘩のルールらしきものも暗黙のうちに成り立っていた気がする。
そんな風に喧嘩の弱い徳さんだったが、その暗黙のルールは忠実に守った。
自分が相手より圧倒的優位に立てる立場の時は喧嘩をしない。相手を倒さない。
言いかえれば丸腰の者を撃たない。そして、圧倒的劣位の者が喧嘩を仕向けてくる意味を考える。
現在、アメリカが主導しているイラク攻撃や、イスラエルのパレスチナ攻撃は、少年時代の徳さんの喧嘩ルールにさえも及ばない。

2004.10.16
おはよう。
徳さん、車の中でまた泣いてしまった。
前回登場のお助けマンEさんに借りた、今は亡きジャズピアニスト、ミッシェル・ペトルチアーニの『SOLO』というCDに収められている「キャラバン」を、例のごとく音量一杯で聴いているうちに。
1台のピアノからかもし出される音とは到底思えない重低音の重なり具合の出だしにまず己の全細胞をかき乱され、次は知っているはずの「キャラバン」という曲がおもむろに解体され、再構築される。鳥肌を立てながら泣くというのは徳さん初めての経験だった。
日常生活の中では異常に涙腺の固い徳さんなのだが、非日常の世界ではあっけなくやられる。
今までで一番長く泣いた記録はフェデリコ・フェリーニ監督の『道』という映画で、上映されてるほとんどの時間を泣きっぱなしだった。
映画館の暗闇でとか、自動車の密室の中でしか泣かない、というか泣けない徳さんは人格形成の一時期を誤って育ったのかも知れない。しかし、構うもんか。このまま生きてやる。

2004.10.13
おはよう。
我がいとしのじゃじゃ馬パソコン嬢、昨今急速にお年を召し、加えて徳さんのお手入れが中途半端というか見当違いだったらしく、パソコン嬢の老け込み著しく、インターネットに接続出来なくなった。勿論徳さん、お手上げである。
ところが世の中良くしたもので、タイミングよくお助けマン現る。
Eさんはソフト会社に勤めるエンジニアである。
AdwareとSpywareというソフトにやられているという表示があった旨訴えると、即座に「あ、それはウィルスじゃないのですよ。勝手に他人のホームページに侵入できるようプログラミングされたソフトウェアーで現在のところ違法でもないのです。無料で排除出来るのでやってあげましょう。」との神のお言葉。
今、こうして安心して『しりきれとんぼ』をいじれるのも、お助けマンEさんのおかげである。感謝、感謝と頭を深く垂れる徳さんでありました。
なんでも、アダルトサイトなどにアクセスすると、このような危険が多いとのこと。
いくら老いさらばえた徳さんといえども、一匹の男の端くれ、アダルトサイトをたまには覗くさ。

2004.10.9
おはよう。
今日は台風22号が関東地方を直撃し、新宿カイロも開店休業状態。
推理小説を1冊読了。
パソコンのお手入れに数時間。
カルテの整理、簡単な施療室の掃除、などをチンタラチンタラやっていたら、あっという間に1日が過ぎてしまった。
完璧な個人営業ゆえ何もかもやらねばならぬのだが、根がものぐさな徳さん、施療行為以外は1日延ばしに過ごしてしまっているので、こんな日はいくらでもやる事がある。
今日の非営利行為でやらなくても良いのは、パソコンのお手入れであるが、これには深刻な訳がある。
ここ2・3日、パソコン野郎の振舞いがおかしい。
インターネットに接続しようとすると、お前のパソコンはウィルスの攻撃を受けた。接続はお前のパソコンを順次破壊していく。一刻も早く以下の作業をしなさい、との表示がある。(これが英語であるのは日本のプロバイダーの不親切、無責任であるよな。)ところがである。指示に従って操作しても接続拒否に遭ってしまう。どうすることも I can not.なのだ。
ところがさらにところがである。時間を経て接続を試みると、なんて事無く平常運転。
正常に機能してくれていても、不安感一杯のパソコン音痴の徳さん。どうすりゃいいのさ。訳が分からん。
こうして更新をする事じたいが皆様に迷惑をかける事になるやも知れぬ。
MicrosoftTechNetで考えられるウィルスの駆除作業をするにはして見たが、結果は不親切、無責任なプロバイダー次第。

2004.10.6
おはよう。
患者さんの中には肥満だけが取り組む課題の方が何人かいらっしゃる。
新宿カイロでは徳さんの体重の2倍までを受け付けつけるようにしている。130キロが限度となる。
己の倍以上の体重となると、さすがに徳さんの力が背骨に届く気がしない。全ての力が脂肪のぶ厚い層に吸収されていくような虚しい気分に襲われる。
とは言っても客商売。無下に断る訳にはいかない。
己の非力を申し述べて、小手先の技術に徹する事を了解してもらい、後は野となれ山となれ、巨体の苦手とする関節周辺の靭帯や腱を徹底的に責めるようにしている。
巨体に弱点あり。
面白いように悲鳴を上げてくれる。
徳さん、結構はまっている。
徳さんは別段サディストではないはずだが、そこに快感が無いと言えば嘘になる。
マゾっ気があったり、サドっ気があったり、徳さんもこれでなかなかに奥深い人間らしい。

2004.10.2
おはよう。
どうも固い話が続き過ぎたようだ。徳さんの本意ではないのだからして許してやって欲しい。
ただ、論旨不明、支離滅裂なのは明らかに徳さんに否がある。でも、57歳の徳さん、頭の構造はもう改善しない。呆れちゃってる人は飛ばして下され。
さて、柔らかい話。
徳さんちで飼っているオカメインコのノンちゃん。
一日中、檻に入れられているのは余りにも可哀想、という事で、夜は居間一室を締め切って自由に飛んだり遊んだりしてもらっている。場所を選ばない糞害と、羽ばたきで生じる小さな羽毛の空中浮遊による(小さなノンちゃんであるが、その活発な新陳代謝は目を見張るものがある。)呼吸器障害は、ノンちゃんの自由を奪い、小さな鳥かごの中に終日閉じ込めてる罰として甘受する他無い。
さて、徳さんが食事を終え、アルコールによる酔いも程よくなった頃、ノンちゃんを寝床である鳥かごに移そうとするのだが、これが毎回大騒動。
鳥目を狙って、照明を消して捕り物が始まるのだが、文明社会の浸食か、何がしかの光が漏れてくる。ノンちゃんはその微かな光を利用して逃げ回る。馬鹿にするな!と叫びたくなるほどの巧妙な逃げっぷりである。垂直の壁に張り付くという信じられないような荒業まで披露してくれる。
ところが、悪戦苦闘でこちらが疲れた果てた頃、そろそろ捕まってやるか、という態度を急に示し、最後は楽々と捕まってくれる。憎い奴というか、うい奴というか……。
かくしてノンちゃんは、飼い主の生活時間のムチャクチャさに影響を受けて、深夜族となり、午前0時過ぎ就寝、午前8時過ぎ起床という、鳥らしからぬ生活時間を身に付けてしまった。
それにしても、己の体格の何百倍にも相当する人間に付き合ってくれてるノンちゃん、比率で考えると、徳さんがシロナガスクジラか恐竜に飼われている事になる。やっぱり、うい奴と言うべきなのだろう。

2004.9.29
おはよう。
日本での毎日の報道は、信じられないような凶悪犯罪を報じている。報道を見聞きする我々も、よほど特異な犯罪でなければ反応しなくなっている。
一方、世界でもおびただしい数の死者が報道されている。こちらにも我々(報道機関も含めて)は不感症気味だ。
でも、この二つには決定的な差がある。
日本のそれは、繁栄ゆえの関係の無機質化、孤立化、意味の喪失を背景にして、短絡化、凶悪化、年少化している犯罪が圧倒的だ。
発展途上国の犯罪は、これと事情を異にする。貧困という簡明な理由が多いはずだ。
そして、世界のおびただしい数の死者は、発展途上国の犯罪とは関係なく、飽くなき繁栄を目指す勢力の価値観の、発展途上国へのごり押しによる。価値観の強制だから相手への思いやりという思い込みも相手側の感情を逆撫でするばかりだ。
世界が格差を是正する方向へと、いっかな動こうともしない現在、繁栄側の精神的病理が世界を覆っている。
繁栄ゆえの犠牲者と貧困ゆえの犠牲者の距離が両極化している。

2004.9.25
おはよう。
暇な折を見つけて近くの四谷図書館に行くことが最近の楽しみの一つになっている。
最近の図書館はCDだけでなしにビデオも貸し出ししている。
徳さん、ビックリすると同時に喜んじゃった。
勿論、お堅い官公庁ゆえ道徳的、かつ教育的物件しか見当たらないのはしかたない。
従順に健康的なものからめぼしいものを探すようにしている。
不道徳、非教育的なものは自力でカバーする事としよう。
先日借りた『NHKスペシャル 宇宙 未知への大紀行』の何シリーズ目かに、火星の地球化を目指す研究が紹介されていた。地球温暖化の元凶とされるフッ素を利用して、火星の温暖化と同時に火星の内部にあるとされる氷を溶かしその水蒸気で出来る雲を閉じ込め大気を形成しようという計画だ。後は重力の問題で、これは人間の体型、生理の変化も含めて時間を掛けて適応させようというものだ。
少年時代の空想科学の世界だったものが現在ではその多くが実現されてる事を考えても、これは絵空事では無いのかも知れない。
だが、ちょっと待てよ。
そもそも火星の地球化を目指さざるをえない理由というのが大問題。
人口の爆発的増加と地球の温暖化による地球環境の破壊。この二つが挙げられていた。徳さんが借りた教育的ビデオは核戦争による地球環境の劣悪化については触れられていなかったが、当然これも立派な理由になる。
人口の増加問題に対して世界は何をしているか?
中国のような産児制限と、ユネスコを中心に低開発国で行なわれているエイズ予防を兼ねた避妊具普及の運動だけである。
その効果が微々たるものでしかないのは右肩上がりの数字に変化が無いことをみても明らかだ。
人口問題は貧困の問題を解決しなければ手の打ちようが無いはずだ。生き物は自らのいのち、わが子のいのちが危機にさらされれば多産と成る。人間の場合、労働力としての子供という発想だって生まれる。
関係者には分かり切った問題だろうが、関係者は無力だ。
世界の構造的な問題としてある貧困は、世界の構造自体を問うているから、世界の構成員である関係者はそこまで踏み込めぬ。テロの問題と同一でもある。
小泉のじゅん坊も意気込んで世界に構造改革を!と国連で息巻いていたが、スケールが小さすぎて、徳さん、テレビを見てて思わず赤面してしまいました。
また、日本政府は日本の人口分布図がピラミッド型からキノコ型へ移っている事に危機感を煽り立てているが、これは税収減とか、社会保障費用の枯渇化といった現時点の問題であって、これから先の数十年を乗り切れば良いだけの話。キノコの茎(どういうのか徳さんは知らない)の人口構成で生きる日本は、今より格段に住みよくなるに違い。

2004.9.22
おはよう。
徳さんの周りには、そして周りだけでなく、徳さんが尊敬する人々がたくさんいる。
そして、今まで徳さんが接触した事の無い人々、縁もゆかりも無い人々を勝手に尊敬するのは、徳さんの得意技でもある。
その一つ。
徳さんは勝手に獣医師、動物病院の先生を密かに尊敬している。
現実の獣医師の実態は知らぬ。
でも意味としての獣医師、というのはスゴイ。
何が凄いかと言うと、魚類、両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類の全科にわたって対応するからだ。複数種に対応するばかりでなく内科、外科、皮膚科などなど、あらゆる科に対応している。
これがどんなに困難な事かは、人間に対する医学が細分化されている現実を見ればよく分かる。
理想的獣医師の頭の中にあるのは、生命だけだ。しかも、あらゆる生き物のあらゆる症状に対してだ。
(現実には利に走っている獣医師さん、くすぐかったらごめんな。)
オールマイティーを要求される獣医師に匹敵するのは、離島の理想的医師と過疎地の理想的医師だけだ、と徳さんを嘆かせているのが人間医療の現実だとしたら、現代医療の姿がどこかでたすきの掛け違いをしてしまったに違いない。
ぜひとも、人間医師と獣医師の活発な交流を!と願っている徳さんである。

2004.9.18
おはよう。
偏食の患者さんが多い。
大体の場合、うまく出来たもので、肉も魚も駄目だと言う人も豆腐などの大豆タンパクはOK。野菜一般が食べれない人もキャベツの千切りだけはOKという具合に。
もちろん、それで善いはずも無いが、それでも皆さん、なんとか生きている。生きる最低限は何としても、無意識下で確保するものらしい。
この場合、なんとかというのがミソで、偏食の皆さんはどこか溌剌とした生命というイメージに欠ける印象を受ける。
Hさんは一見活動的な人だが、施療に見えて毎回何らしかの体調不良を訴える。
先日は味覚障害。ご本人も永らく気が付か無かったようで、ある時、数人で会食した時に、Hさんが刺身にジャブジャブと醤油をかけるのを指摘され、ご自身の味覚音痴に気付いた次第。
カイロプラクティック士として訴えられても困る類いの話だが、亜鉛不足による味覚障害の事が頭をかすめたため、ダメ元で亜鉛のサプリメントを勧めてみた。コンビニで安く手に入る代物だ。亜鉛を多く含む牡蠣やレバー、ナッツ類などは苦手ということだったので。
半月後に見えたHさんは味が判るようになったと無邪気に喜んでおられた。
Hさんの場合、欠乏と症状が一直線になっていたため、劇的な効用があったが、多くの場合、事はもっと複雑なはずだ。やはり、偏食を避けるというオーソドックスな方法を探るべきだろう。
蛇足めいて付け加えると、合成保存料などの食品添加物には亜鉛の吸収を妨げるものが多くあり、亜鉛不足に拍車をかけているそうな。厚生労働省はここでも頑張っていないぞ。

2004.9.15
おはよう。
ほんのちょっとだけ、この『しりきれとんぼ』の構造を変えようとしただけなのに、とんだ目にあってしまった。ハイパーリンクがうまく出来ない。フレームを使って二重表示にしてあるのだが「本日の抜粋」が消えてしまう、などなどの事態に出くわしてしまった。徳さんのパソコン音痴は一向に治る気配を見せない。
ただ、以前とは違いは、うろたえることが無くなった事だ。
犯人は徳さん。これははっきりしている。
「どうせ、おいらが悪いのさ~」と尾藤イサオ気取りで鼻歌を歌いながら、時間をかけて、おのれの作業をチェックしたのだった。
それにしても、パソコン野郎の律儀さには恐れ入る。さすが2進法の単純脳髄。
本当に些細な手違いが全てを否定する。
大雑把を旨として生きている徳さんとは永久に仲良しさんにはなれないと悟った。
せめて、貴方の犯した罪はこれこれの可能性がありますよ、と耳元で優しくささやいて欲しい。

2004.9.11
おはよう。
ようやく、施療室の窓を開けてもムッとした空気がなだれ込んでくる事態はなくなって来た。
患者さんの表情にもホッとした安堵感がうかがえる。
冷房嫌いな人、冷房に弱い人が多い職業柄、例年の夏場は窓を開けたまま冷房をかけて施療するといった贅沢をしているのだが、今年ばかりは一日中締め切って施療する毎日だった。
地球温暖化のことを考えれば、今年のような夏が日本の夏として定着していくのだろうか?まだまだ灼熱化していくのだろうか?考えただけでうんざりする。
さて、この『しりきれとんぼ』。過去のものを読みやすくするため、整理してみた。
たった、これだけのパソコン作業でも、徳さん、何度も失敗を繰り返しの悪戦苦闘だったのだぞ。
こんな方法で良いのか?Catonさん、良い知恵があったら教えて下され。

2004.9.8
おはよう。
ナンマンダム、ナンマンダム。
年のせいか、徳さんは時々そうつぶやく時がある。
多くの場合、それは日常生活においてちょっと不都合があった時など、そうつぶやくと不思議に腹が立たなかったり、うまくいけばちょっとした笑いでもってその場がなごんだりもする。
しかし、時として深刻なナンマンダムになる事もある。
ロシア・北オセチア共和国の学校占拠事件もそうだ。
まさか、このような展開のテロ行為があり得るのかと、世界中を驚かせた。
世界は解決へ向けて何一つ動き出していない、という事をいやと言うほど思い知らされた感がある。
あらゆるレベルの指導者と言われている輩(やから)を、世界中の一人一人が認めない、拒否する事からしか、最初の1歩はあり得ない、とさえ思ってしまう。
今、空論や絵空事こそが必要な時代だと、東京の片隅でナンマンダム、ナンマンダムとつぶやきながら徳さんは思っている。

2004.9.4
おはよう。
老人力、老人党が話題になったりして、老人パワー恐るべし、という感も一面ではあるが、徳さんの身の周りを見渡した時、老人への尊敬やいたわりに出くわした事の記憶がない。少老人としての徳さんも、「老人を馬鹿にするな!」と腹が立ったり、打ち捨てられた寂しさを味わう事が度々ある。
以前、友人の勤めている老人のデイケアをやっている施設を訪ねた事があった。
ちょうど音楽の時間で、10人ぐらいで輪をつくり、各自タンバリンや鈴を持たされ、流れる音楽に合わせリンリンジャラジャラやっていた。ジジババのほとんどは無表情で、無感動のまま手を機械的に動かしていた。学問的には意味ある事なのかも知れないが(勿論これは意地の悪い皮肉です)、一緒に生きている気配が無く、うすら寒い思いをした記憶がある。幼稚園児以下と見なす老人認識である。痴呆=幼児化ではないはずだ。70~以上生きてきたジジババの誇りから目を逸らす福祉の残酷さを目の当たりにした思いであった。
身近な日常にも、ジジババを無視した商品が氾濫している。
缶詰のプルは爪を立てても起きにくいし、ペットボトルの蓋はかた過ぎる。ラップだって二重になってたりしてて開けにくいことおびただしい。一人暮らしのジジババは飲み物も食い物も格闘しなければ口にできない物となっている。
売る側も馬鹿だ。簡単な小道具を無料で配布すれば売れ行きも上がるだろうに。
TV番組もジジババを無視したものが多すぎる。
テンポが速すぎる。若者に媚を売ってるものが多過ぎる。ジジババには水戸黄門を与えておけばいいという不遜な切捨てがそこにはある。
世のジジババは結束してジジババ局を作って、若者よがりのTVディレクターに一泡吹かせてやらねば成るまい。

2004.9.1
おはよう。
体操といえば日頃から言いたい事がある。
徳さんの頃のラジオ体操は、現在姿を変えてテレビ体操となっている。
それは良いのだが、手本となっている体操のねえちゃんがいかん。
体育大学の健康的なねえちゃんが、立派な体格で、きれいで理想的な体操をしてくれる。
観賞用としてはともかく、彼女達のように体の柔らかくない人が大多数だという事に配慮が見られない。
患者さんの中にも、一念発起してテレビ体操に挑戦した人がいたが、おのれと手本とのあまりの落差に情けなくなってしまい、さっさと、それまでの運動不足の日常に戻ってしまった。
こんな場合、その人の運動嫌いは以前にも増したものになるのが常だ。
手本が立派すぎるてよろしくない事もある。
ヨレヨレおばちゃんの体操手本が欲しいと想う徳さんであります。
さあ、皆さん、おばちゃんと一緒に、ぜえぜえ喘ぎながら、ヨレヨレ体操をしましょう!
あ!およねさん、そんなに無理しちゃ死んじゃうよー

2004.8.28
おはよう。
暑さボケのせいか、ペースがすっかり狂ってしまっている。
こういう事は早めに対処しなければ、ずるずると怠惰な方向へ流れるのが常なので、週2の「しりきれとんぼ」ペースを守るよう己に誓いをたて直した徳さんでありまする。
徳さんの施療室は4階にあって窓から隣りあってる小さな公園が見下ろせる。
この季節、子供たちは夏休みだろうに、子供たちの姿はいっかな見えない。
犬を散歩させる人たちと、昼休みにOLがコンビニの弁当を広げてる姿を見るぐらいだ。
子供たちは何処にいるのだ。
日が沈みきるまで遊びほうけていた徳さん達の少年時代は遠い過去のものとなってしまってる。
そうそう、夏の公園、広場の一昔の風物詩といえば、早朝のラジオ体操であった。
これも何時の頃からか見かけなくなった。
地域社会が壊れた証の一つだろう。
毎日、出席のハンコを押してもらうのが楽しみでならなかった。
毎年、首からぶら下げたカードは夏休み終了時にはハンコで埋まってた記憶があるので、家族旅行などは少年達の願いには入ってなかったに違いない。
それでも充分に夏休みを謳歌した、少年時代の徳さん達だった。

2004.8.21
おはよう。
ちょっとした休みだったのに、なんか久し振りの感である。
それほど、この「しりきれとんぼ」が徳さんにとって日常のようなものになっている証なのかも知れない。
素直に喜ぶべきだとも思うが、休暇明けのその日の暑さが、徳さんの気力を蒸散させている。暑さを避けての夏期休暇だったはずなのに避暑休暇の翌日も猛暑というのは何のための夏休みだったのかと、徳さんならずともそう思うのが当たり前の今年の暑さである。
さて、アテネオリンピック。
連日の日本選手の予想以上の活躍に日本中が熱狂している。少なくともマスコミの扱いはそうだ。
成功物語をめぐって微に入り細に渡りの報道合戦が繰り広げられている。
患者さんにも連夜の寝不足を訴える方が多くいらして、その人気ぶりがうかがえる。それぞれに好みの競技があって患者さんの性格判断にも役立ってくれる。
飲兵衛の徳さんは深夜の放送時には高いびきと決まっているので、リアルタイムの観戦は最初から放棄している。
それでも翌日のニュースチェックでおおよその雰囲気はつかめる。
開会式の印象はなかなか良かった。ギリシャのアーティストの願いが民族の誇りと世界平和にあることを精一杯世界に発信していた。ギリシャ政府も頑張った。「五輪停戦」を求める趣意書への署名を各国首脳らに呼びかけた。
ところがである。
日本政府はこの呼びかけに反応せず、この趣意書に署名してない。拒否ではなしに反応しないというのが、なんとも狡猾な日本役人の手口だと感じ入ってしまうが、何とも情けない政府を持ったものだ。
イラクへの自衛隊派遣の条件が非戦闘地域であることを考えると、「五輪停戦」に同調すればその派遣理由の根拠が無くなるという理屈に怯えての判断なのだろうが、平和憲法が泣いている。
もちろん、アメリカ政府も署名をしていない。
日本選手は頑張っているが、そして選手個々人は世界平和のために闘っている訳でもないが、帰国後首相官邸に招かれてその健闘を称えられたその瞬間から、日本政府に取り込まれる事になるのは何とも痛ましい感がしてならない。

2004.8.11
おはよう。
明日からほぼ1週間の夏休みに入る。例年はちょこちょことした用事を入れ、それなりにあわただしく過ごすのだが、今年だけは勘弁してよ、の想いが強く、ひたすらぐーたらに徹する所存だ。
ビックコミック(新宿カイロでは週刊文春とともに常備してある)で業田良家の百年川柳に『暑中見舞い 虚礼にならぬ 酷暑かな』というのがあって、本当になあ、と思いつつも、その字面だけを追っても暑苦しさを感じてしまうこの夏の暑さである。
高校野球の選手、並びに応援の諸君、あんた達は偉い!

2004.8.7
おはよう。
昨日8月6日は広島の原爆記念日だった。
徳さんは中高時代と大学をやめてからの数年間を広島で過ごしたせいもあって、この日ばかりは敬虔な気持ちになる。当時、被爆体験を話してくれる人は身近に多くいた。徳さんにも被爆体験は多少は語り継がれている事になる。
59年目のこの日のマスコミの扱いはおざなりのものが多かった、という印象が強い。
憲法9条と自衛隊法の解釈をなし崩しに捻じ曲げ、改憲と自衛隊の海外派兵へ向けての世論作りに躍起になっている現政権に本気になって異を唱えているとは、とうてい思えない。あるのはバランス感覚だけで、そのバランスを少しずつずらし、なし崩し的に改憲にもって行こうとする現政府のやり方にいつの間にか乗ってしまっている。
空爆下、被爆下の平面で作り出された戦争拒否の憲法が、その惨状を知覚し得ない上空での議論になっている。
戦争を知らない世代の政治家によるシュミレーションごっこに国民が巻き込まれようとしている今、ビジュアルの世界を誇る最近のマスメディアは、その技法を被爆下の惨状の再現に利用しようともしない。

2004.8.4
おはよう。
残念な事に最近徳さんは、いわゆるサプリメントを使用し始めた。
少なからず敗北感がある。
本来なら食事でまかなわなければ成らぬのだが、野菜などを普通にスーパーで購入して普通に料理しても本来の栄養価が確保されないのが現実のようである。脅し文句を武器にサプリメント産業はご繁栄の様子だ。
考えてみれば、何となくふに落ちない。
野菜の栄養価を落としたのは、直接的には生産者である農業従事者であるが、そのように仕向けたのは政府の農業政策だし、その背後には肥料企業や農業機械の生産企業の意向がある。
衰弱した野菜を提供し、今度はその不足を補う事をうたい文句にサプリメント産業が名乗りを挙げる。
壊す事でもうけて、直す事で再度もうける。という構造は湾岸戦争、イラク戦争時のブッシュのやり方と相似形なのが気に懸かるところだ。

2004.7.31
おはよう。
当たり前の表現で申し訳ないが、自然というものには驚かされる。
栄養学によるまでもなく我々にとって必要な栄養素は、炭水化物、たんぱく質、脂肪の三大栄養素とビタミン、ミネラルである。
現代人にとって不足しがちなビタミン、ミネラルは野菜や果物、海藻や豚肉に豊富だとして、健康に注意する人は食生活に気を配っている。ビタミンに関しては中学校の理科の授業でも欠乏症と一緒にその必要性を叩き込まれた気がするが、ミネラルの話は何となくおろそかに扱われてきた。
鉄欠乏性貧血が知られているぐらいで、なかなかピンと来ない。
しかし、その過不足によって成長障害、骨形成障害、味覚障害、腎・肝障害、甲状腺異常などなど様々なトラブルを引き起こす。微量栄養素と言われるが過不足があっては健康が維持できない要注意栄養素なのだ。
このミネラルというもの。その本来の由来は岩石である。
そこまでは徳さんも何となく理解してたが、雨による浸食だけで地球上の生き物をまかない切れるのだろうかと常々疑問に思っていた。いくら食物連鎖、循環があったとしてもだ。
ところが最近、目からウロコの本に出くわし、徳さんの疑問が晴れた。
土壌に含まれる鉱物を素材に微生物が酵素の力でミネラルを作り出すというのだ。
腸内細菌同様、微生物様々である。
地球誕生の初期から現在の生き物たちの繁栄へと微生物を介して一直線に繋がる話である。
その本とは長崎浩著の『細菌が地球を救う』
近いうちに『本日の抜粋』で一節を紹介しよう。

2004.7.28
おはよう。
徳さんは不愉快な報道を探しているのではない。むしろ逆に楽しい事、微笑ましい報道を探して新聞を読んだり、テレビを見たりしてる。無論そのての報道は適当に散りばめられてはいるが、溢れまくる不愉快な報道に圧倒されてなかなか印象に残らない。
20日。トヨタ自動車会長が日本経団連会長の立場から、武器輸出三原則の見直しの提言がなされた。これも不愉快。日本経済界を代表して憲法9条の改正要求の立場を公然化したとも言える。
詳しく読んで見ると、そこにあるのは理念というより、利権を求めるハイエナの根性しかない。(ハイエナ君、ごめん。イメージの例えでしかないのでお許しあれ。)
これでは、石油利権に狂奔したブッシュ政権の悪しきコピーでしかない。
防衛産業といえば聞こえが良いが、これは軍事産業、死の商人とはっきり言い換えるべきだ。
軍事産業を放棄して、なおかつ活性化した産業を育成すればいいだけの話であって、何も目の前に差し出された利益だけは引き出してくれる猛毒に手を出す必要性は無い。

2004.7.24
おはよう。
7月22日の夕刊を見て、徳さんは不機嫌になってしまった。
アメリカのアーミテージ国務副長官が、日本の憲法9条が日米同盟協力の制約になっていると発言した。また日本の国連の常任理事国入りは軍事力を展開できるのが条件だとも。
まあ、正直といえば正直な発言ではある。イラクで大失策をやらかし、イラク派兵から撤退する国もぼちぼち出だしている現在、ブッシュ政権の本音なのだろうが、何とも不遜で不快な発言だ。
だいいち、軍隊を持たない平和国家は常任理事国になれないなどというのは国連の憲章にあるはずが無い。日本国憲法9条こそが国連の求めるべき精神なのだから。
もちろん日本の小泉政権や一部民主党の改憲志向の動きをにらんでの発言だ。(最近の政治は真っ向勝負じゃなしに、争点をずらした処で問題を起こし、ゴチャゴチャやっているうちに肝心の法案を通すというのが常態化している。野党はずれた所の餌に喰らいついてやった気になっている。)
しかし、忘れてもらっては困る。
憲法9条は現実的な性格をもともと持っていない。
第二次世界大戦直後の荒廃と絶望と過去への反省の上に掲げられた戦争放棄なのだ。人は惨憺たる敗戦直後のみ理想に従順になれる。だから、9条を語る際には常に1945年8月15日に立ち返らなければならない。理想に立ち返る事の無い現実主義でいじり回していい、といった性格のものではない。
徳さんがさらに怒っているのは、今まで日本政府はこの憲法9条を武器にして世界と闘った事が無いことである。お馬鹿な日本政府は軍事行動を取れずに恐縮なんかしてしまって、恥ずかしいったらありゃしない。
誇れる事の少ない日本が、ただじっと黙っているだけで、世界にメッセージを送っている事になる有り難い憲法なのだ。
アーミテージのこの発言を伝えたお使いの中川秀直自民党国会対策委員長が、徳さんには幇間に見えてしまった。

2004.7.21
おはよう。
関東地方は猛暑が続いている。
昨夜の最低気温が30度を超えた。これは気象庁観測史上初めての事らしい。
単なる気圧配置のせいばかりでなく、ヒートアイランドのような人為的な要素が加わっているのが忌まわしいところだ。これからも観測史上初という言葉には度々お目にかかりそうな予感がしてゾッとしてしまう。
先日、朝の通勤電車の車内放送で「本日もメチャクチャ暑く成りますので、皆様、熱中症には充分気を付けて下さい。」との車掌さんの呼びかけがあった。ローカル線ならありそうな放送だが、あわただしいラッシュ時の中央線で「メチャクチャ」というJR規格外の言葉が聞けるなんて。
車内の乗客も一瞬きょとんとした表情で天井のマイクを見つめたりしてた。
その車掌さん、昨夜は寝苦しい一夜を過ごしたに違いない。一挙に親近感を獲得したすぐれ技だった。無機質な通勤ラッシュの車内がほんわかしてしまった。
どんな奴だろうと、新宿駅に降りた後、車掌さんの確認したところ、真面目でどうって事無い、野暮ったい感じの青年だった。その事がさらに徳さんを喜ばせたのは言うまでも無い。

2004.7.17
おはよう。
関東地方は猛暑が続いている。
先週は数人の熱中症による死者も出た。中には家の中で亡くなった方もいたようで、打つ手無しの感さえある。日頃の体調管理の良し悪しが問われる。
熱中症といえば、徳さんには悲しい想い出がある。
重度身体障害者を対象にしていた施設に勤めていた時の話。
ある夏の日、H君が熱中症が原因の急性肝不全で亡くなった。
H君は重度の脳性マヒで幼い頃から病院と施設で生活する事を余儀なくされていた。頭のいい人だったが、その事を彼がよく自覚している様子が周りから疎んじられ、いつも孤独に本を読んでいるのが常だった。その彼の唯一の心の安らぎは、日曜のキリスト教会のミサだった。
車で片道1時間はかかる教会まで、若い信者さんの仲間達がボランティアで送迎してくれていた。H君もよほど体調を崩さぬ限り熱心に通っていた。
その夏、その送迎ボランティア達と1泊2日で日本海に海水浴に行った時の事だった。(成人の福祉施設ではありきたりの旅行は行事としてあるが、海水浴など労力のかかる行事は発想もしない。)
往きの道中の車の中でH君は失禁してしまった。別にどうという事では無いはずなのだが、H君にしてみれば、自分が最も大事にしている人たちの中でトイレの失敗をしてしまった事は大ショックだった様で、帰り道の行程では水分を取る事を自分で自分に禁止してしまった。悪い事に帰り道は渋滞が激しく、炎天下の高速道路をノロノロ運転が続き、ついにH君は熱中症になってしまった。
緊急入院をして手当てをしたが、その何日後に肝不全で帰らぬ人となってしまった。
徳さんの知り合いにH君と同じような障害程度のY君がいるが、Y君も時々失禁をしてしまう。しかし、彼は『エルド』事件として周囲の者に吹聴し、その時の大騒ぎ振りを笑い話にしてしまってる。『エルド』とは黄金郷エルドラドに引っ掛けたY君の造語である。その彼の逞しさを徳さんはエルドの逞しさと呼んでいるが、Y君は若いうちから地域社会で生きようとしてきた障害者である。彼の逞しさは社会にもまれざるを得なかった半生の結果である。
Y君が笑い飛ばしている事柄がH君を死まで追いつめてしまった。
H君の死は、施設などという、社会からの隔離がなければ成立しなかった。

2004.7.14
おはよう。
もう1回だけ、徳さんの運動能力が発揮された事があった。(一生のうちで運動に関して自慢できる出来事が2回しかないというのも情けないが、それが徳さんの現実。)
もっとも、これは客観的な運動能力の話でなく、ただ、体に対するほんの少しの知識が徳さんのダメな運動能力をカバーしてくれた話なのだが。
患者さんのSさんの施療を終えて送り出してホッとしていたところ(Sさんは新宿カイロの第一号患者さんで重度の身体障害者。Sさんは3年前に死んじまったが、思い出深い人である。人なっつっこい性格と立派な体重で結構周りの人から愛されていた。Sさんとのやり取りは、機会があったらまた紹介しよう)Sさんの介助者から電話があった。
帰り道、道の段差で車椅子ごとこけてしまい頭に大怪我をしたとの事。悲壮な感じですぐに来てくれと言う。
とっさにタクシーを利用する事も常日頃の貧乏生活ゆえに想いつかず、現場の新宿駅近くまで走る事にした。1kmちょいの距離である。
開業間もない頃の話だから、その時の徳さん、30代後半。それまでの荒れた生活、酔いどれ生活によって充分に身体能力を最低限度まで追いつめてしまっている。
己を知る徳さん、その時考えた。
分相応に走ろうと。
まずもって呼吸を確保しなければならない。吸って吸って吐いて吐いての4拍子を守る事だけに集中して走り続け、何とか現場にたどり着いた。
たまたまその時、カイロの後輩が遊びに来ていて一緒に走り出したのだが、その彼T君は半分ぐらい走った時点で「勘弁してよ、徳さん」の声を残して歩き出してしまった。
T君は体育会系の猛者で、身体能力は徳さんの数倍はあると思ってよい。
その彼に勝ったのである。
幸いSさんの怪我は額を何針か縫う程度で済んだので、後に残るは、体育会系の猛者T君に対する勝利感のみ。
100回の勝負で99回負けて、1回だけ勝って、心の底から威張っているのだから、お気楽な性格だと自分でも想う徳さんです。

2004.7.10
おはよう。
前回、病弱だった徳さんが何とか普通の健康な子供に変貌した話をした。
その処方箋は、ただひたすらに外遊びに明け暮れる事だった。
とは言っても、貧弱な肉体は相変わらずで、運動神経もお粗末で、体育の時間も皆に遅れない事を目標にする程度だった。
そんな徳さんに、運動に関しては初めてといっていい栄光が訪れた事があった。
中学2年の運動会で、クラスのリレー対抗の選手に選ばれたのだった。これには家族のものをはじめ周囲のものが驚いた。あの鈍くさい徳さんが、なぜ?といった怪訝な表情をたくさん見た。
運動会の前に行なわれた体力測定で50メートル走で6・3秒を記録したのが物語りの始まりだった。
体育の先生も、クラスの皆がその事を信じられず、運動に関してはクラスのエリートを自他共に認めるM君が代表して先生に徳さんの再試走を要求した。
これは、いじめとかそういう話ではない。
なにしろ徳さん自身がストップウォッチの結果を信じられない。第一、その時は6・3秒の意味が分かっていない。
納得ずくで再度の一人だけの50メートル走をした結果、同じ記録が出てクラスのリレー選手になってしまった。それも、第一走者として。
ところが、栄光とは一瞬にしかないというのは真実で、本番のその時、徳さんそのものの運動音痴は変わっていないのだから、スタートのタイミングが分からない、ピストルの音を聞いてからおもむろに走り出す始末。走り出した時には競争者全てが徳さんの前方にいるという事になってしまった。あわてて必死に走った結果、3人を抜いてバトンをタッチした。先程のM君のアンカーとしての活躍でクラス対抗としては事なきを得たが、当然、栄光の誉れは徳さんから一瞬にして消え去ってしまった。
でも、何故運動音痴の徳さんが早く走れるようになったのだろうか?
考えられる事は、学校が家から遠く、それなのに家を出る時間がいつもぎりぎりの時間を過ぎてしまい、その長い道中を毎朝、重いカバンを持って走っていた事だ。知らぬうちの能力開発があったようなのだ。
継続は何かを変える。

2004.7.7
おはよう。
現在の徳さんを知るものには信じられないだろうが、徳さん、ご幼少の頃は病弱だった。
小学4年生までは、週に一回位は発熱して学校を休んでいた。
当時は近所の内科医が各家庭まで往診してくれた。急患があれば深夜でも駆けつけるために、お医者さんの寿命は短いものとされていた。当時、お医者さんは尊敬されていた。(ここら辺の言い回しに含みのようなものを感じて頂ければ幸いです。)
子供心にもお医者さんの黒い皮製のカバンは何でも出てくる神聖な魔法の箱だった。
当時の徳さんの発熱の理由は、これも現在の徳さんを知るものには信じられないだろうが、なんと勉強好きにあった。それも学校の勉強などはそっちのけで、蟻や蚕を飼って観察記録を書いたり、歴史絵年表を作ったりしていた。両親より早く寝た記憶があまりない。その頃は小学生が親より遅くまで起きている事は考えられない時代だった。
頑張った翌日は例外なく発熱していたようだ。
ある時、主治医の先生から、学校以外での勉強を禁止された。
以来、母親の仕事には学校帰りの徳さんを外に追い出す事が加えられた。
外遊びが嫌いだった訳でもないらしく、それ以来、学校帰りは外遊びに明け暮れた。当時、放課後も学校は開放されていて、日が暮れるまで校庭で遊んだり、近くの林で木登りしたり、三角ベースの野球に夢中になった。
以来、無遅刻と言う訳にはいかなかったが、無欠勤を続けた徳さんであった。
折角勝ち得た健康な体も、大人になってからの不摂生で現在はトホホの状態に陥ってしまい、当時のお医者さんに申し訳なさを感じている徳さんでありまする。。

2004.7.3
おはよう。
仕事を終え、こうしてパソコンに向かっている時間が、何時の間にか至福の時間の一つになってしまった。もちろん、書くネタはとうの昔に底をつき、毎回行き当たりばったりで延命を図っている現状に苦しさが無いと言えば嘘になる。
しかし、患者さんが帰った後、誰も訪ねてくる心配の無い中で、新宿のはずれのマンションの1室で勝手気ままに一人過ごす時間があるというのは、なかなか得られない贅沢である。
当然、若干の酒がある。ささやかな酒の肴もある。
そして、最近ごぞっこんな新井英一やピアソラを、患者さんが居るうちは許されないほどに音量をあげて聞いている。リズム感がまるで無く、体を小気味良く動かす事の出来ぬ徳さんが、唄のさびに懸かった処で身をくねらす様子は誰にも見せられはしない。
ちなみに、ただ今、徳さんが身をくねらせ中の新井英一の唄の歌詞は以下の通り。

  夢を見るのが好き 酒をのむのも好き
  世間の風は冷たいから 今夜は海の風に吹かれよう
  船に乗るのが好き ゆれているのがいい
  一度だけの人生だから 好きな唄でもうたいましょうか
    あ~流されるままに この身をまかせ
    あ~吹かれる風と 消えてゆきましょう
  空を見るのが好き 流れ星がいい
  親のぬくもり恋しいから 見知らぬ街を歩きましょうか

『流れ星』という唄の一番である。単純明快、原初的な感情をうたった唄だ。
徳さんて、単純なのだ。

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