しりきれとんぼ2004年前半

2004.6.30
おはよう。
最近の若い者は、、、、。
と言い出したら自分が立派なオジンへの仲間入り宣言をしたと思って良い。
徳さん、その手の自覚力十二分。
最近の若い者の快適志向には、皮肉などでなく、それが実現可能である事そのものをうらやましく思ったり、まずもって自分を大事にするその徹底振りに賞賛を送る徳さんであるが、多少言いたい事もある。
生活空間としてのフローリングにあこがれ、フローリング生活を実現している若者が多い。
快適志向の一つである。確かにTVコマーシャルなどにはフローリングを舞台にした、しゃれた照明の元、清潔で快適な空間が流れている。若者がフローリング生活を目指すのはもっともだ。
しかし、気にかかる事がある。
そこに置かれているしゃれた家具は、例外なくその位置が低いのだ。低過ぎるのだ。テーブルにしても、椅子にしても。当然そこで生活するとなると、低い空間で生きざるを得ない。
カイロプラクティックを生業とする徳さんとしては、ここら辺が気に懸かる処だ。
男女共に正座が苦手に成っている若者は、胡座(あぐら)をかいたり、足を投げ出したり、女性の場合は横座りしたりする他無い。
これらは、カイロプラクティックの観点からすると不健康を導く小悪党どもだ。思わぬ体調不良の未来が待っている。 コンビニや駅で見かけるションベン座りも同じ事。
以前読んだ本に、この世に重力というものが無ければ、地球上の生き物たちは地衣類のように地表をはいずるしかない、と書いてあったが、不注意なフローリング生活は若者達の未来の背骨や骨盤の形を地衣類化させるかも知れない。 

2004.6.26
おはよう。
朝から晩まで痛い痛いの叫び声に見舞われている徳さんは、痛みに対する同情心が薄れてしまっているのかも知れないが、患者さんの痛さ、辛さを理解するのはなかなか難しい。
喜びや楽しさは共有出来るが、苦しみ系はきわめて個人的な出来事だという事情もある。
患者さんのほうも、ご自分の痛さ、辛さを徳さんに伝えるのに苦労されているようだ。
中には、どんな風に痛むのかを聞かれているうちに、とうとう、ご本人の結論として「分からない。だけど痛いのだけは確かだ。」と宣言する患者さんもいる。決してその方の表現能力が低くてそうなるのではない事をその方の名誉のためにも言っておく。その他の事ではなかなかに表現豊かな方なのだから。
患者さんのそんな努力の果てに、聞いたことの無い表現に出くわす事もある。
Fさんは膝が「シミシミ」痛いとおっしゃる。
ミシミシじゃないのですね。と念を押すと「私のこの痛みは絶対にシミシミです。」と強い口調で返事が返ってくる。
そうなのだ。逆にありきたりの表現で語られようと、Fさんを見舞っている痛みは世界中何処を探しても他に見つからないFさんだけのものなのだ。
Yさんは腰が「ズーズー」痛いとおっしゃる。
Yさんも頑固に他の表現を認めようとはしない。ご本人も奇妙な言い回しであることは自覚されてるようで、家族、親族に同様の表現をしている者を探したが居なかった由。故郷の方言にもそれらしき物は無い。どうやらYさんの言語遺伝子が突然変異を起こしたらしい。
「シミシミ」にしても「ズーズー」にしても、聞いたことの無い表現だが、何となく分かる、というのも身体に関する言語の面白さである。

2004.6.23
おはよう。
勝手にぶっ壊しておいて、その責任など何のその、後の手当てを国民に押し付けるというのは、年金問題に限った事ではない。
先日、与党から教育基本法の改正案が出された。
その目玉はなんと愛国心。
どさくさに紛れて、というのが最近の小泉政権の手法だが、徳さん、思わず笑ってしまいました。
そんなものが現在引きこもり中のA君の胸に響くだろうか。
政治家のやっている事の一つ一つが愛国心の発露だと、言えるものなら言ってみろ。
愛すべき国だったら、頼まれなくたって誰でも愛しちゃう。
愛国心の強要は、政府みずからが己の国を、愛すべき国ではないと宣言しているようなものだ。
与党の皆さんは、そして性質(たち)の悪い事に野党の皆さんの多くも似たり寄ったりの感が否めないが、現状打開の方策として「愛国心」を、与党の皆さんが忌み嫌っている北朝鮮の金正日の方式をならって、上からの強制力で植え付けようとしているらしい。

2004.6.19
おはよう。
人は一人では生きていけない。
群れの中で生きていかねばならない。
支え合い、時には押さえ込まれても。
安心感、充足感の一方で、生きるすべとして己の感情、行動をコントロールする事を要請される。
群れのルールは村のルールにつながり、何千年何万年の歴史があるが、現代にそのまま通用しにくく成っているのも事実だ。
家庭では大家族制に居たたまれなくなって核家族で暮らす事を求め、やがて核家族では家族を支え切れない事に気付きだしているのが現在だ。老人ホームがその象徴だ。
かように大人たちも群れて生きるすべを失い、途方に暮れているのが現状だ。
まして、その大人たちに育てられている子ども達においてをは。
長崎の少女が親友を殺してしまった痛ましい事件も、群れの中で自分の位置、居場所が脅かされ、追い詰められた結果だ。
群れの中で生き延びる動物術こそが身に付けられねばならない。

2004.6.16
おはよう。
文明の発達によって現代人が失ったものは数々あるが、身近な身体に関して考えれば、足の能力の喪失はその最たるものだろう。
足指を自在に動かせる人はそうそういないだろう。ところが脳は手と足とは同じ面積の脳領野を持っている。使われぬ脳は退化する。樹状突起によるネットワークが貧弱になる。遠い先祖の四足の時代のなごりとは言わせない。徳さんの知り合いに足指を器用に使いこなす身体障害者を何人か知っているのだから。
現代人の多くが脚を、とりわけ足指を使わなくなったのは、靴を履いて舗装された道を歩くようになったためだ。大地を掴むようにして歩く機会を完全に失っている。靴の中で一定方向の蹴りを繰り返すだけだ。
先日、患者さんのSさんから耳よりな体操を教わった。
脚を肩幅に開いて立ち、20~30回つま先立ちを繰り返す。ただそれだけ。
徳さんはこの手の体操として、今まで患者さんに足指のジャンケンを勧めてきていたが、この指先立ち体操は現代人の弱点、ハムストリングス(膝の後ろ側の筋肉たち)を伸ばすと同時に足指を広げて使うことにもなる。そして何より姿勢を正さねば上手く出来ない簡単体操なのだ。
お勧めの一品に加えさせて頂く。

2004.6.12
おはよう。
良い姿勢を維持するためには、どのような努力をすればいいのだろうか?
徳さんの場合、他の真面目な立派な諸先生方と違って(真面目で立派な先生は、患者さんに自分と同じような百点満点を要求される)良い姿勢を維持する事に関してはダメ患者さんを前提にしている。
徳さんと患者さんは相似形だと思っている。
生体というのは立派な代物で、100悪い事をしたら20か30、ゴメンナサイをすれば許してくれる。
問題の要点は、悪事を連続させない事だ。
ふと我に返り、良い姿勢に戻る時間を持つ事が重要なのだ。
では、良い姿勢のコツとは?
徳さんはこれまで、いくつかの言い方をしてきた。
頭を体の真上に置くようにして下さい。そのためには頭を天から引っ張られる気持ちになって下さい。
肩甲骨を寄せ合うようにしてみて下さい。
身長を計る時のように自分の身長を1ミリでも高くするようにして下さい。
後頭骨と肩甲骨とお尻と踵を壁に付けるようにして下さい。などなど。
そして今回、新たに一つ加わった。82歳の患者さんNさんに教えられた。
「良い姿勢とは、托鉢僧の合掌の姿勢ですね。」

2004.6.9
おはよう。
修行時代も含めれば22年に及ぶカイロプラクティックとの付き合いがある徳さん、当然身に染み付いているだろう施療士根性があるはずなのに、いっかなその様子がみられない。
ベットの上に横になっている患者さんが羨ましくてしょうがない。
最近はその想いがこうじて、先輩カイロプラクティック師を訪ねたり、異種格闘技を真似てカイロプラクティックには直接関係の無い整体や鍼灸の患者さんに成りすまして喜んじまっている始末。
施療術を学ぶ事より患者学を選んじまってる最近の徳さんである。
こんな調子で、このコーナーを読んでる人はすでに感じているだろうが、徳さんの関心はカイロプラクティックの施療になかなか向かわない。
そんな徳さんを患者さんが時々、目覚めさしてくれる。
最近のオメザ2題。
①托鉢僧の合掌スタイル。
②踵(かかと)挙げ体操。
詳細は次回以降に続く。なにしろネタが無いもので、引き伸ばし作戦が唯一の戦術なのだ。

2004.6.5
おはよう。
ちょっといい話 その②
以前、『無断紹介コーナー』で小沢基弘さんの絵画個展の紹介をしたが、そして小沢さんの一部の絵は『徳さんのささやかギャラリー』にも登場してもらっているが、これはその時の個展の後日談の一つ。
小沢さんはクロッキーの教室の世話人を長くしてて、小沢さんの芸術は裸婦のクロッキーを基盤としている。芸術音痴の徳さんが唸るような絵が何枚もあった。対象を描いているには違いないが、そこに表現されているのは、小沢さんの心底の感情であったり、小沢さんが自分でも知らなかった自分の発見に驚いている小沢さん自身の裸婦像であった。
その個展の後、数ヶ月経って、小沢さんが手伝っている画材店にSさんが訪ねて来た。その時Sさんが語った話。
Sさんは女性で、Sさんのお母さんと共に小沢さんが世話人をしているクロッキー教室に通っていたが、二人ともここしばらく中断してた。
小沢さんの個展を訪れたSさんのお母さん、ご自身の創作意欲が再点火したご様子で、娘のSさんに復帰宣言をした。
「私、また描く事にしたわ。あなた、ちょっと脱ぎなさい。」

2004.6.2
おはよう。
徳さんの施療院に見える患者さんの動機は3つに分かれる。
痛い人。疲れている人。健康管理に見える人。
出来れば皆が3つ目の健康管理のために見えるようになってもらいたいが現実はなかなかに厳しい。
疲れ果てて来る人。理由は単純明快、働き過ぎ。
そのうち何人かは公務員であるのが気にかかる。終電車にも間に合わずタクシーで帰宅、翌朝は平常出勤という日が何日も続いているという話も聞く。ご本人の体はストレス性の胃潰瘍をはじめボロボロである。我々国民は公務員にそこまでして働いてくれとは要求していない。
徳さんの印象では公務員とは働かぬものと決め付けていたが、どうも実態は違うらしい。
部署によって忙しさの差が甚だしいのだそうだ。皆が就業15分前から帰り支度を始めたり、一つの書類をなるべく時間を掛けて作成するようにしてる訳ではないのだ。
人員配置の不適切さがもたらす結果だ。
忙しさの質というものも考えなければならない。無駄な会議や煩瑣な書類手続きに費やされる膨大な無駄は、行政改革という掛け声にもかかわらず一向に減る様子も無い。
行政の簡素化、合理化、透明化を図るだけで、行政改革は完成するだろうに。
それを阻害する事によって延命を図る輩がいて、その輩も行政改革を唱えているのだから始末が悪い。

2004.5.29
おはよう。
ちょっといい話 その①
知り合いの幼稚園の先生から聞いた話。
何かの行事があった日の事。要するに日頃の幼稚園児の活動振りを父兄に見てもらおうとする日。
(蛇足だが、一生に一度の行事は参加者にとっては記念にもなり楽しいものだろうが、それを毎年同じようにこなさなければならない幼稚園の先生は本当にご苦労さんである。蛇足ついでにもう一つ。成人の福祉施設などでもこの手の行事がかなりの回数行なわれる。こちらは一生に一度どころではなく、長い施設利用者は何十回も同じ事の繰り返しを味あわされている。いいかげんにしてくれというのが本音のところだろう。しかも、施設職員が行事に振り回され、本業がおろそかに成っているにもかかわらず、大層な仕事をやっているかの錯覚に陥っている実態を徳さんは嫌というほど見てきた。)
そうそう、幼稚園での話。
小さい子の集団、当然問題児と見なされる児は何人かはいる。
翔太君もその一人。集合の呼びかけにも応ぜず、逃げ回り、果てはそこらにある箱を投げつけたりしている。先生達は途中から無視して行事を進行せざるを得ない。
そんな翔太君の様子を、苦虫を噛みしめたような表情の一見怖そうなおじいちゃんがギョロッとした目付きで翔太君をジッと見つめていた。
行事の終わり近くになって、そのギョロ目じいさんが突然「翔太君、ちょっと、こっちにおいで」と呼びかけた。
二言三言の会話の後、二人は仲良くトランプをし出した。
人生の達人ということなのか、翔太君の肝を一瞬にして掴んでしまったのだ。
もちろん二人は初対面の赤の他人。
最近の福祉の世界では資格が尊ばれ、老人ホームなどではマニュアルで鍛えられた若いアンちゃんネエちゃんが、ジジババの本音から遠く離れた地点でのマニュアル介護に精一杯の様子が見受けられる。
様々な世代で一人一人の人間を育て、守ることを再考しなければならない。

2004.5.26
おはよう。
「三河屋、おぬしも悪よのお~」と細田新官房長官が日本道路興運の社長に言ったかどうかは徳さん知らない。きっと、言わなかったに違いない。現代の贈収賄は、時代劇で見られるよりはずっとずっと小ズルく陰湿に行なわれているはずだ。本人が預かり知らぬ形で事務所が処理する。政治資金集めのパーティーなどで秘書から紹介され、「あ、今日はご苦労様、これからも宜しく頼むよ。」と、すまして尊大に応対していた位なのだろう。それだけで日本道路興運の社長は自社の安定と繁栄を確信したに違いない。これは細田側が主張する政治資金規正法の違反のレベルでなく、立派な贈収賄事件だ。細田官房長官は国会議員の不逮捕権があるにしても、その責任は厳しく追及されねばならない。なんなら、鈴木宗男のように逮捕、拘留まで行ってもいい。国民年金の未納、未加入問題は制度上の不備があったりして、国民に不快感を感じさせるものの、犯罪とは言えない。議員年金の存在を含めて不快なだけだが、細田官房長官のは犯罪だ。
こんな事は政治の裏側では日常茶飯事なのだろうが、発覚した後の対応が不快でならない。
マスコミは小泉首相のパフォーマンスにしてやられ、細田君問題を、もう既に放棄している。
日本道路興運というのがどういった会社なのかも、報道関係は詳しく調べてみたらいい。
現在のところでわかっている事は、官公庁への運転手を派遣する会社で、架空人件費を計上し2億8千万の所得隠しをしたり、塩谷立衆院議員に9百万円の秘書給与の肩代りをしていた事だけである。

2004.5.22
おはよう。
政治なんてしょせん茶番だという事は重々承知している徳さんだが、最近の政治屋の連続技には恐れ入る。常套句だが怒りを通り越してあきれ返ってしまう。
自民党の面々は己の悪行を、発表するタイミングの巧拙によって、おのれの政治能力を競っているかのようにさえ見える。そこには反省など無く、どうだ、この絶妙のタイミングは!という自画自賛、自己顕示の姿ばかりが感じられる。そして、それを賞賛する仲間達によって成り立っているのが自民党だ。
公明党の面々は、己の影響力を維持しようとして、日蓮の教えさえ無視して、政治のシーソーゲームに奔走している。連立の怖さである。たった一つの評価点。平和主義さえ投げ捨ててのお振舞いである。
民主党の面々は、野党と言っても所詮は保守派。2大政党の一方を夢見ている雑居房住人である。火の粉が降りかかれば、内輪糾弾に躍起となる始末。
社民党の面々は今のところ無きに等しい。清美ちゃんを孝子ちゃんを守るために殺しちまった。清美ちゃんがやった事は市民運動のなかでは常識のレベルである。その事さえ守れなかったのだから、潔く一度死んで再生を試みるしかない。
共産党の面々は、ご自分の官僚主義に何時までも気付く様子がない。
これしか政党が無いのが現在の徳さんの嘆きである。
こんな事を言い出した理由は次回へ。

2004.5.19
おはよう。
ペシャワールの会というのがある。
アメリカのイラク駐留統治の意図がことごとく失敗していく姿を見るにつけ、ペシャワールの会などの活動がクローズアップされる。されるはずに違いないのだが、なぜか、報道の片隅に追いやられている。徳さんが日頃のマスコミの不甲斐なさに嘆息する由縁でもある。
ペシャワールの会は何をやっているか?中村哲という医者を中心にアフガニスタンで医療活動と井戸掘りをしている。その事こそが現地の緊急課題だからだ。中村医師は井戸掘りに行ったのではない。だが、結果として井戸掘りをしている。これが現地主義というものだ。
百億単位の金銭を投入して今回の自衛隊派遣が成り立っていて、その成果たるや、どう考えてもその金額に見合うものではない。自衛隊派遣の実績を作るためにだけ使われた金だ。
同じ金額をより有効にイラクの人々に使う手立てはいくらでもある。
民間人道援助を支援してこそ政府援助のはずだ。
その時に必要な、民間人を守るための武装なら徳さんにも納得がいく。

2004.5.15
おはよう。
前回の話はお経と言うものが中世においては、当時の若者にとって、ロックンロールの位置を占めていたのではないか、という意味合いがある。
そして、発達遅滞の著しい徳さんにとってのロックンロールは、赤いちゃんちゃんこを目前にして先日やって来た。
新井英一。
早くに死んじまった中上健二との対談記事で知り、CDも何枚か買ったりして、それなりにお気に入りの歌手だったのだが、5月8日、生のライブを聞いて、ほとんど気が狂ってしまった。
ミーハーになる快感というものは確実にあるのだと、日頃ミーハーを馬鹿にしている徳さんがいうのだからして、ミーハー復権である。
まずは形態観察から。
コードを押さえる新井英一の指は無骨で太く労働者の手そのものだ。隣で冷静なのに熱情的な演奏をしているギタリスト高橋望の繊細な指先の倍の太さはある。ギターのネックをその太い指が包み込むようにして基本コードだけをしっかりと押さえていく。高度なテクニックは高橋望に任せッきりなのも2人の信頼関係がうかがえて気持ち良い。
唄が高揚してくると、新井英一のはだけた胸元と顔が紅潮する。元来が色白なのだろう、桜色に変化した肌は美しくさえある。ああ、徳さん、危ない世界に入りつつあるのかも知れない。
でも、男の色気を本当に感じたのは次の場面だ。
折りたたみ椅子に腰掛けてギターを抱えて唄う新井英一は足でテンポを取っている。かかとを床につけてタンタンと。その足が唄が佳境に入り忘我の状態になると、両足とも床を離れ、空中でもがくようになるのだ。無意識の感情の発露が身体の末端まで及んでいる。もう、徳さんはメロメロである。
さらに、忘れ得ぬ仕草がある。
彼の父親を念頭にして創られた『ダイアンサリー』(他郷暮らし)を唄い終えた時、新井英一の頬には涙の後があった。彼は床に置いてあった手拭を拾い上げ、グシャグシャッと顔をぬぐい、床に投げ捨てた。
以上、音楽とは関係ないような新井英一賛歌でした。

2004.5.12
おはよう。
最近の徳さんは、音楽のルネッサンスに身を置いている。
大音響ピアソラについては先日書いた。以来、音が徳さんにまとわりつくようだ。
今日はお経について。
先日、連休中にオヤジの17回忌を近所のお寺でやった。
徳さんの考え方もあって身内だけでささやかに執り行った。
東京のお墓事情のため宗派を問わない墓地にお墓があるので、位牌だけを持って近くの曹同宗のお寺に頼んだ次第である。宗派を問わず墓を立てても良いが、違う宗派の立ち入りはご遠慮するという訳である。まあ、やむを得ないか。
その、にわかに駆け込んだお寺の住職のお経がなかなかにすばらしかったのである。
本堂に朗々と響き渡る声明(しょうみょう)は、昼日中なのに黄昏時に身を置いてるかの錯覚を呼び起こし、信心の欠けらも無い徳さんも神妙に身じろぎせずかしこまってしまった。
無神論の徳さんはもしかしたら敬虔な仏教徒じゃないのかと思わずうろたえた。
中世から近世にかけての老若男女にシンクロしてしまった感じである。
お経の途中で何度か直径50センチ位の大きなりん(金属製の茶碗の形をした鳴り物)が打ち鳴らされる。広い本堂の空間で反響し、ウワーンウワーンと音がうねる。空間がくねる。住職のお経はモンゴルのホーミーを思わせるほど艶があって怪しげである。
何が起きても不思議ではない気さえしてくる。
京極夏彦的世界がかつて実態としてあったに違いないと、オヤジの法事に不謹慎な事を考えた徳さんだった。

2004.5.8
おはよう。
徳さんは5月の連休の予定の6分の5をクリアーした。
特養老人ホーム見舞いを天候不順を理由に延期させて貰った。特養見舞いと天候に何の関係が在るのかと問われれば、うーん。
徳さんも不死身ではない。ごめんね。特養のFさん。
おかげで、その予定日は一日中グダグダ、ダラダラ、おもいっきり与太郎に徹しましたとさ。

2004.5.1
おはよう。
明日から連休に入る。
例によって徳さんの過ごし方は地味である。法事があって、身障施設見舞いと特養見舞い。家事を少し手伝って庭いじりをして、それであっという間に終ってしまうだろう。
おっと、酒を飲む約束が一つ入っていた。
まあ、かように徳さんの身のまわりは平穏である。(先日、尊敬している知人が亡くなったりして心中は決して穏やかではないのだが)
しかし、世界は5月1日の新聞報道だけでもうんざりするほどの殺伐さだ。
アメリカ兵士達によるイラク刑務所服役者に対する侮蔑的虐待行為が発覚した。虐待の内容は知性のかけらもない鬱屈した感情が剥き出しになったものだった。
ブッシュ大統領の声明がふるっている。
不快である。これはアメリカの国民性に反するので厳しく罰する、と。
お馬鹿なブッシュには分からない。
今回軍法会議にかけられた兵士達は、ブッシュ君自身を体現化した者たちである事を。
君は不快である。アメリカの国民性に反する。
そして、続報としてイギリス兵の同様の犯罪的行為が報道されてる。
でも、これらは4,5ヶ月前の事件であって、報道関係者も日和見姿勢があった事は認めざるを得ないだろう。
そんな中で明るい話題が一つあった。
EUの拡大である。国境の無い地域が拡大する。

2004.4.28
おはよう。
患者さんの不思議
カイロプラクティックが体系付けられて100年以上になる。その間様々な手技が工夫され、現在36通りのテクニックが体系付けられているという。メスと薬を使わない医療という定義づけからは何でもありの感もする。ボキボキと派手に矯正音を立てるものから、反射を利用して筋肉に軽く触れるだけのものまで。そのお互いに対する批判もあるようだ。
なのに患者さんの方からは、どのカイロプラクティック施術を選べばよいのかを選べないのが現状だ。
情報公開されていないのだ。業界の努力も患者さんの利益のために客観的な情報を流す方向には向かっていないと言えよう。出くわしたカイロの先生がカイロプラクティックを体現している事になる。後はあの先生とは相性が良いとか、悪いとかが判断の基準となる。
徳さんが身につけたカイロプラクティックの技術は昔ながらのオーソドックスなものだ。いわゆる背骨ボキボキという奴である。
当然患者さんの中には、ボキボキと音を立てる矯正をこわがったり、嫌がったりする方もいる。徳さんはそのような患者さんにはボキボキの矯正はしない。当たり前だが。緊張し、こわばっている筋肉に抗ってもろくな事はない。もちろん、多少のだましやフェイントは許される範囲で行使しているが。
しかし、体というのは不思議だ。
普段、かたくなに拒否しているボキボキ矯正を、本当に辛くてどうしようもない時は無意識に受け入れる患者さんが多い。患者さんご本人も体のご都合主義をまのあたりにして、あきれるやら、ホッとするやら。

2004.4.24
おはよう。
患者さんから課題を与えられる事が多い。
背骨の施術をうたっているので、うつ伏せで施療するのは欠かせないのだが、中にはうつ伏せになれない患者さんもいる。
Sさんは心臓の手術をした時に肋骨を切りはずして手術を受けているため金具で肋骨を止めてある。そのため、うつ伏せになると痛いような気がして怖くて出来ないとおっしゃる。術後一度もうつ伏せになった事がないそうだ。
やむを得ずうつ伏せ抜きの施療となる。
矯正自体は座位で出来るのだが、周りの筋肉を緩める作業は(業界では緩和操作と大げさに表現している)仰向けのままSさんの背中の下に手を入れ、Sさんの体を徳さんの指の力で持ち上げ、その手を少しずつずらすようにする。これは非力な徳さんにとって結構辛い作業だ。ところが、こういうのを患者さんは好む傾向があるようだ。Sさんもごたぶんに漏れず待ってましたという顔をされる。
新宿カイロの患者さんは徳さんの顔を見るとサディスティックな感情に支配されるらしい。

2004.4.21
おはよう。
徳さんの精神の秘密 *はやとちり*
先日、新聞の片隅に載っている記事を読んで一人大笑いをしてしまった。
4月より国立大学法人法が施行され、各大学で独自に資産運用が出来るようになった。
そこで東大は今まで各学部ごとに貯金してあった金を集め運用する事にした。
その額、90億円。現在余っている金である。この額が大きいのか小さいのか徳さんには分からない。
この90億円の運用方法がなんと国債を買うのだそうだ。
ここで徳さん、大笑い。自称日本の最高頭脳を持つ大経済学者が何人も居るだろう東大で、財テクのために出した結論が国債購入とは!しかも、リスクを避けて期間を何種類にも別けて購入するとの事。そこらをブラブラ歩いている兄ちゃんの出す結論と違いそうにないではないか。これじゃあ、東大で経済を学ぼうとする奴など居なくなる。生きた経済を扱えそうにない。ここは、資産運用をバシッと決めてくれなければ。
そう感じて大笑いしたのだが、これが早とちり。
国立大学法人法では、資金運用は元金が保障された国債、預貯金などに限定されてしまっているのだそうだ。これでは国が国債を買うよう強制しているのと同じで、東大は頭を使う機会が無かったのでした。リスクを避けて、、、、という所に少し笑いが残るだけの記事でした。

2004.4.17
おはよう。
どうも不愉快だ。
イラクの人質3名が解放されたことは喜ばしい事だが、この1週間の日本国内の動きのいくつかは不愉快なものだった。
高遠さんの弟があごひげを剃った。これは記者会見、政府役人との会見に際しての態度が悪いとの無記名の誹謗中傷が一部にあったからなのだ。母親が涙ながらに謝らなければならないのも、無言の圧力に怯えての事だ。
これはムラ社会日本への服従を強要したものだ。昔の大政翼賛の気配すらする。
小泉首相のコメントも徳さんの気持ちを逆撫でるものだった。
「いかに善意の気持ちがあっても、これだけの痛い目に遭って、これだけの多くの政府の人たちが救出に寝食を忘れて努力してくれたのに、なお、そういうことを(彼らが今後とも活動を続けたいと語った事)言うんですかね。やっぱり自覚というものを持ってもらいたい」
やっぱり、国家のメンツと政権維持のためだけに救出活動をしたに過ぎなかった感じである。
第一、彼らは善意で行ったというより怒りを持ってイラクに行ったのだ。それに、小泉首相がイラクが戦争状態である事を曖昧にしたから、自衛隊も派遣できたし、今回の3名も自由にイラクに行けたことを、言い出しっぺとしてよくよく自覚して欲しいものだ。
むしろ事態は逆なのだ。3人の人質は自衛隊(この呼び方が通用するのは日本国内だけ)が派遣される事によって急速に悪くなったイラク人の日本へのイメージを結果的に幾分かでも回復してくれたのだ。政治家の尻拭いを結果的に多少してくれたのだ。

2004.4.14
おはよう。
ハンドルを握った時と、満員電車に乗っている時は、多少気性が粗くなる徳さんだが、最近は安全運転を心掛けている。目を皿のようにして運転している。
年末に車を買い替え、CDプレーヤーをオプションで装備したのが原因だ。(今頃CDが車で聞ける事を喜んでるなんて、何とも時代遅れの徳さんだが、動きさえすれば良い、を車選びの基準にしているため、サービスオプションでもなければ手にしない代物なのだ。)
左右の前扉に付いているスピーカーのバランスを運転席用にセットし(こんな事も出来るなんて)音量を耳が痛くなる寸前まで大きくしてCDを聞く時、音楽家の繊細な工夫なども聞き分けられて、至福の感情におおわれる。
何を聞いているのかというとアストール・ピアソラだ。
ミルバの唄うピアソラもよし、ギドン・クレメールの演奏するピアソラも申し分ない。アサド兄弟のギター演奏もピアソラが作曲したものがある。ヨーヨー・マのチェロもそこ味があってよい。ムスタキがピアソラを唄っているのには驚かされた。
中でもピアソラ自身が歌っているらしい「ロコのバラード」という曲は、聞く度に徳さん、泣いちまってる。
小さな、車という密室は徳さんにとっては立派なコンサートホールとなっている。
もちろん、こんな事をすれば、自分の車のエンジン音だけでなく、外のあらゆる警告音は聞こえない。
踏み切りのチンコンカンコンも、緊急車のサイレンも聞こえない。目を血ばらして絶えず前後左右の眼球運動で補うしかない。運転後の疲れ目はいたしかたない。
今、改めて大音量ピアソラにのめり込んでる徳さんである。

2004.4.10
おはよう。
8日、イラクで日本人3名が武装組織によって拉致されたとの報道があった。
解放の条件は自衛隊の3日以内の撤退とある。
以来、マスコミは大騒ぎであるが、大事件の度に繰り返されるパターンを押し付けられているようで徳さんのマスコミ嫌いはますます拍車がかかる。
忘れてならないのは、最近の5日間で450人をこえるイラク人の死者が出ている事である。そして拉致された3名はこのような事実を許せないからこそ危険を承知でイラク入りしたのである。日本政府の対応は型通りのものに終るに違いない。
余計な事をしやがって、個人の資格でちょろちょろして、おまけに拉致されやがって、日本国政府の迷惑を少しは考えろ。なんで政府の方針に楯突くお前らのために、やっと苦労してたどりつけた自衛隊海外派遣を取りやめなければならんのか。撤退なぞするものか。国である以上、表面上はお前らの解放に向けて努力はするから有り難く思えよ。
といったところが政府の本音だろう。
人の命は地球より重い、というのは嘘であってほしくない大嘘だし、人の命に値段の差があるのも事実であってほしくない厳然たる事実だ。

2004.4.7
おはよう。
東京の花見の季節は終った。
(例外があって、新宿御苑の桜はソメイヨシノより遅れて咲く八重桜が多いため、今なお花見の適齢期である。ここは一見の価値がある。広大な空間に大きな桜の木があちこちに配置されている。他の花見の名所のように群れてある事によって存在を誇示しているのではなく、一本一本の桜の大木が物語を語っている。)
終ってみれば、毎年の事ながらあっという間の出来事であった。
しかし、桜ばかりが花じゃない。
この季節、徳さんお気に入りの花が2種類ある。
徳さんは東京郊外の国分寺に住んでいる。車で西武国分寺線の踏切を越える時、線路脇の土手にだいこんの花が群生している箇所がある。薄紫の花は毒々しなく葉の黄緑と互いにぼかしあって、ああ、春だなあとほのぼのさせてくれる。
他の一つも線路沿い。通勤で中央線を利用しているが、電車が新宿駅に近づき速度を緩めるころ、線路脇にレールの敷石の上に菜の花が群生している一画がある。これは一瞬はっとする。油で汚れた瓦礫にもめげず、鮮やかな黄色い花を直立させている。根は瓦礫の層をつき抜き新宿のほこりを主成分とする土にまで達しているのだろう。その準備は冬の間地味に懸命に行なわれたのだろう。
日頃、くたばり気味の徳さんだが、この菜の花には元気を貰う。

2004.4.3
おはよう。
花見の季節だ。
今年は開花宣言の後、急な冷え込みがあったせいで花の命が一週間ほど延びた。桜祭りなどを企画した人達は一喜一憂の毎日だったに違いない。
徳さんの例年の花見は、80歳になる母親を乗せて国立の大学通りから桜通りにかけてをドライブして終わりである。有名な大学通りより、どん詰まりを東西にまたがる桜通りがお薦めだ。道幅が狭いため左右の桜によって完全なアーチが出来ている。見上げれば空の青さと桜の花という理想的な構図である。皆様へのお薦めの一品。
今年は少し奮発して、もう一ヶ所立ち寄った。
多摩市にある桜ヶ丘公園。都立だそうだ。その割に知られていないのがミソだ。ミソは美味い。
丘陵をそのまま公園化したものらしく、主人公はソメイヨシノではなく山桜である。背丈が高く、他の木々の新芽の淡いグリーンの色合いの中に薄桃色の模様がはめ込まれている。新春の山の風景といった趣だ。丘陵であるからして木立のまにまに多摩市外が見下ろせる。人出が少ないのも救われる。ここもお薦めの一品。
物笑いの種に、昔、徳さんがシンガーソングライターを気取って創ったさくらの唄の歌詞を紹介しよう。
旋律は死んでも教えない。絶対音階を誇る友人に採譜して貰ったところ、瞬間爆笑に見舞われた。その全ての音がほとんど同じ音だったらしくお経よりひどいと腹を捻じるようにして笑われた。
〝桜の花の悲しみは風に吹かれて散るんじゃない。桜の花の悲しみはあのくすんだ花の色。あのくすんだ花の色〟

2004.3.31
おはよう。
どうも徳さんの文章は論旨不明、支離滅裂の傾向があるらしい。
高校時代に同級生の女子(異性を呼ぶに懐かしい呼称だ。)から、徳義君の話はその時聞いただけでは何を言っているのか分からない。何度も聞いているうちに、ああ、徳義のいいたい事はおおよそこんな事なのかと見当がつくといわれた事を思い出した。漠然とした方向性だけがあって、ピーチクパーチクやっているという批判なのだろう。当たっている。
前回の話。ナマコと医療にどんな関係があるというのだ。
読み返して赤面の至りである。
なにが言いたかったか、少し反省してみよう。
医療の経験の積み重ねが、最新の医療技術の進歩の余りのスピードに、一部無視され、取り残されているのではないか、というのが懸念の一つである。最近の名医はいかに最新技術を駆使できるかに評価の基準があるように思えてならない。名医=優れたテクノラートという図式が大手を振っている。でも、徳さんがイメージする名医はそれだけじゃ嫌なのだ。患者の立ち居振舞い、言動に対する観察を含めた、過去の膨大な人の病いに対する情報を常に参加させるべきだと思っている。過剰な検査も避けられるはずだし、心のケアーも十全になされるはずだ。医師全員に名医である事を要求するし、そのような名医を目指す教育を要求する。
次にナマコの例えで言えば、様々な食べ物(患者)を実際に口に放り込んでいるのは、日々ベットサイドにいる看護士でしかないのに、日本では看護士の地位が医師に比べ異常に低い。医療スタッフの地位平等化を。(医師会が反対するだろうな。准看護士という奇妙な身分の温存にだって、血道を上げていたしな。)
もう一つ。過去の医療の失敗を二度と繰り返さぬ体制創り。
医療事故の大半は初歩的なミスによるものが多い。だから、かえって皆が安易に考える。これからは注意をより一層しますと。しかし、毒キノコを何度も口にする奴はいないはずだ。医療においての毒キノコが何であるか、先達がしっかりと語り継いでればと、残念がる事しきりの徳さんである。
最後に、医療関係者の定期的な更新試験制度の確立(これも医師会が反対するだろうな)。
ますます何を言ってるのか分からなくなった方はメンゴ。これが徳さん。

2004.3.2
おはよう。
ナマコを最初に食べた奴はすごいと常々思っている。当時、もちろん時代は特定出来ないが、何でもかんでも口に放り込んでいたに違いない。採取するだけの食料事情のはずだ。最初の奴がすごいというのは正確ではなく、当時の飢えがすごいと言うことなのだろう。そして、ある者は苦しみもだえ死んでいったりして、その経験が次代に伝わって食べれる物、食べれない物、ある工夫をすれば食べれる物となっていったに違いない。きのこに対する人間の博識振りなどは感嘆に値する。毒キノコと、それと全く同じ形態をした食べれるキノコを達人は見分けるという。
医療も当然そんな部分があってしかるべきだと思う。
最新の医療技術の発達は誰でもが認めるところである。
コンピューターを駆使して人体を立体的に描き出し、病巣を明らかに出来るようになったり、カテーテルを体に差込み、開腹することなく暗闇の中にあるはずの臓器の摘出や治療も出来るようになった。また、倫理問題を無視すれば、体外受精や、遺伝子操作によって遺伝病の治療も試みられている。
薬の開発も留まる所を知らず、その効果と副作用を常に注意深く監視しながら服用しなければならぬほど強力なものが多数開発されている。
しかし、この医療技術の進歩に比例して医療事故が頻発しているのも事実である。
人が最先端を担いきれなくなっているのだ。そして、頻発する医療事故の多くは医療従事者の初歩的ミスによって起きているのが現実だ。
高い山ほど広い裾野が必要なように、一つの最先端医療技術を支えるためには、質の良い重厚な医療の岩盤が存在しなくてはならない。
先行世代の貴重な蓄積を、今の医療教育体制が尊重しているようには思えない。24歳のがきんちょ時代に得た資格が、その後一生無傷のまま通用することを野放しにはしたくない。

2004.3.24
おはよう。
徳さんはエンドルフィンが少ないせいか、およそ賭け事というのに興味が湧かない。興奮しないのだ。
旧くはドストエフスキーの『賭博師』、最新では森巣博の『非国民』を読んでも、一世一代の大賭博というのに、その興奮にどうしても付き合いきれないのだ。
徳さんにだって、異常な興奮というものがない訳ではないが、それは賭け事ではなさそうだ。脳内興奮物質であるエンドルフィンにも様々な種類があるようだ。
もちろん、多少の付き合いに乗る事はある。競馬、麻雀、花札、パチンコぐらいは環境に応じてやった事がある。入れ込みや欲がないせいか、ただ今の収支はマイナスにはなっていないはずだ。
この度、ハルウララという迷馬が登場した。
百戦百敗のツワモノの評価で、一躍有名馬になった。
負ける事を願って馬券を買う人が多いのだそうだ。
勝たなくていい賭け事というのに出くわして、これが日本の余裕かと想ったり、ここまで現在日本の人々が競争社会に痛めつけられていたのかと想った徳さんであった。

2004.3.17
おはよう。
ごぼうエキス療法後日談。
このささやかな「しりきれとんぼ」コーナーにも多少の読者がいてくれる様で数人の患者さんから、徳さんのその後の経過を聞かれたりしてる。
貴重な徳さん自らの人体実験なので、1回綿棒で鼻を湿らせた後、次にひどい症状が出るまで放置してたところ、3週間経ってくしゃみや鼻水が出だした。一昨日2度目のごぼうエキス添付を施した。その後はまずまずである。症状が無くなる訳ではないが、立て続けのくしゃみや、水様鼻水瞬間落下からは確実に免れている。
これはいいやと、盛んに吹聴してたら、否定的な事例を報告された。
長年ひどい花粉症に悩まされているIさんの母上が試みたところ、効果はゼロだったとの事。
うーん。
考えられる何故かは、長年の花粉症にもかかわらず、徳さんは今まで何の対策も立てずに放置していたのに対し、Iさんの母上は薬物療法などをさんざん試みたあげくのごぼうエキスだったことだ。
薬が人を変える、という事があるのかも知れない。この件に関しては徳さんの方が野生動物だったのかもしれない。
なぜ効くのか?という事に関して理解の方法が無い現状では、「おばあちゃんの知恵」「民間伝承療法」の域を越え得ない。
だから現在のところ効く人には効く。としか言えないようだ。
ただ、ごぼうは平凡な食べ物なのだからして、鼻に突っ込んでも害はなさそうだし、費用も1円を超えない。駄目元で試しても損はあるまい。

2004.3.13
おはよう。
他人(ひと)のふんどしで語る花粉症。
患者さんには養生を要求する徳さんであるが、自分には大甘で、何か自分の身に不都合があると自己努力などなんのその、身近な身体調整職人に身を委ねてる。
メンバーはカイロプラクティック士2名、鍼治療師2名、整体師2名の豪華キャストである。
そのうちの一人、新宿駅近くで開業している島村整体院の島村先生のホームページに、整体法としての花粉症についての見解が載っている。
現代西洋医学が見落としている部分を的確に言い当てているので、以下、転載してみる。

<整体法は、花粉症の原因は「背骨の硬直」であると答えています。詳しくいうと、春は背骨が下から順番にゆるんでいく季節です。このとき、腰から背中、肩甲骨の間、首、頭とスムーズに緩んでいけば問題は無く、ラクに「春の体」に衣替えができます。 動物に例えれば、冬毛がサーッと生え変わるようなものです。 しかし、このとき肩甲骨の間が硬直していると、体は背骨をゆるめたい、しかし固まっていてゆるまない・・・そこでクシャミをする、鼻水を出す、涙を出す、大騒ぎをしながら背骨を揺さぶり、ゆるめようとする。それが花粉症であるということです。>

2004.3.10
おはよう。
花粉症対策委員会。
片方の鼻の穴にティッシュを詰め込むことによって、一気に快適な睡眠を得る事の出来た徳さんは翌朝目覚めて思った。これは物理的な刺激に対する反射の仕業に違いない。だとすると、ここは原始的な方法で取り組むべきだと。原始的ということは生物的であるという事だ。生き物の仕組みは無限に難しいが、生きる術は単純なはずだ。だってアルマジロやナマケモノが生きる事に関して深く考えているとは到底思えないもの。でも彼らはしっかりと生きている。人間の干渉が無ければの話だが。ここはなるべく簡単な対応をとって見よう、と思った。
そこで思い出した。
例の某製薬会社に勤務するT諜報員の話。Tさんは徳さんよりひどい花粉症患者である。
そのTさんが、ごぼうエキスの効能を盛んにおっしゃる。当初聞き流していた徳さんだが、今回の片鼻塞ぎの効能に驚いているので、急に謙虚になり実行してみた。
すると、どうだ。半日後には、あれほど激しかったくしゃみはなりを潜め、水様性の鼻水も出ない。以来2週間、平穏な日々を送っている。
Tさんは会社にごぼうエキスの製剤化を進言したのだそうだが、軽く一蹴されたとの事。Tさんの会社はみすみす膨大な利益のチャンスを逃した事になる。しかし、考えてみれば、ごぼうを1cm程度すりおろして、その汁を綿棒で鼻の粘膜に塗布するだけの事。何もわざわざ薬にして飲む必要はない。製剤化するとなれば生薬ゆえ防腐剤を添加したり保存剤を添加しなければなるまい。添加物による新たな薬害だって考えられる。ここはTさんの会社の存続に配慮することなく、民間療法を個人レベルで実行すべし。

2004.3.6 
おはよう。
花粉症は続く。
就寝中まで間欠的に鼻水が湧き出るようになった初めての出来事に、始めのうちは律儀にも1回1回寝ぼけながらも鼻をかんでいた。やがて面倒くさくなり、片側の鼻の穴にティッシュを詰め込んでみた。ただでさえ花粉症のお陰で口呼吸になってしまい、喉がヒリヒリしているので両側にティッシュを詰め込む気はしなかった。
するとどうだ、何が幸いしたのか皆目見当が付かぬが、瞬時にして呼吸が楽になるではないか。鼻水の生産も止まった感覚がする。
鼻の粘膜に物理的な刺激が作用して、粘液分泌の機序に変化を促したようである。いわゆる反射というものらしい。鼻の粘膜を外界から遮断した、というのは当てはまらない。さっきまでもう一方の鼻も負けずにズルズルやっていたのだから。
感激しているうちに寝入ってしまい、そのまま朝まで気持ちよく熟睡した。
朝起きて、徳さんは考えてみた。
花粉症の成り立ちの理屈は免疫といってとても難しい。花粉症対策も減感作療法、抗アレルギー剤の投与、そして藤田紘一郎寄生虫先生がご推奨のサナダムシを飼うなどいろいろあるが、どれも決定的ではない、か実行出来ない代物だ。
ところが今回徳さんが出くわした事は、あまりにも原始的、あまりにも物理的な話である。でもこれは重要なヒントなのかも知れない。なにしろ本人の体験談なのだから徳さん一人だけでも少し考えてあげねば。
体が持っている反射機能。きっと数十万年の歴史があるに違いない。

2004.3.3
おはよう。
花粉症についてもうしばらくお付き合いのほどを。
「今年は花粉が少ないようですよ。去年の冷夏のせいらしいですよ。」
といった会話を花粉症仲間の患者さんとしたりしていた。
かなり楽観していたら、2月25日突然強烈な花粉症が徳さんを襲った。
翌26日の施療は悲惨で、1人の患者さんを施療するに際して5回も6回も鼻をかむ始末。患者さんもたまったもんではない。5分ごとに施療が中断するのだ。ごめん。
その日の夜はさらに悲惨だった。
過去、どんなに辛い花粉症の時も就寝時だけは平安だったのに、その夜は鼻水が間欠泉のように定期的に湧き出でて、はっとして何度も目覚めてしまう。同病者だけが知っていることだが、花粉症の鼻水は、瞬間発生、瞬間落下である。おまけに水のようにさらさらしてて粘着力がまるで無い。持ち主の意思がまるで通じない世界なのだ。
明け方、疲れ果てて、片方の鼻にティッシュをねじり込んでみた。
ここから徳さんの身に異変が生じた。(続く)

2004.2.28
おはよう。
徳さんの肉体の秘密。その⑨
花粉症。
徳さんの花粉症は年季が入っている。
東京さ来てから2年目に発症した。以来27年間、愛憎を含めて付き合っている。
苦しいには違いないが、どうも心底から憎めないのが花粉症のようだ。
まず、くしゃみ自体が気持ちいい。これは教科書にあるようなハックションというのでは駄目だ。
犬のチンがするだろう、ッチン、ッション、でなければならぬ。手軽にするのではなく、一度ためてからくしゃまなければならぬ。しかも全身を揺さぶって。
とても57歳のオジンがするくしゃみではない。
通勤電車の中などでは恥ずかしさの極みである。現代病ゆえか、最近はだいぶ同胞が増えたが、ある意味では無音の通勤電車の空間で、犬のチンのようなくしゃみを敢行するには勇気がいる。
市民権を得ている、大人らしいオーソドックスなくしゃみも試みてみたが、これは全く役に立たなかった。決着しないのだ。鼻の奥のむずがゆさを解決するにはチンのくしゃみしかない。

2004.2.25
おはよう。
徳さんはどうも発育不全の傾向があるらしい。
色々な事が他の人よりおよそ10年遅れている。(ただし、幼稚園選びなどは、べにべにの先生と言って口紅鮮やかな先生の色香で決めてしまったあさましさだけはちゃっかり芽生えていたようだが。)
26歳でオートバイに夢中になった。
知人から中古のオートバイを格安で譲り受け乗り回していた。中古ゆえの故障すらも楽しく、点火プラグなども持ち歩いていた。当時、静岡市内に住んでいたので、海岸沿いに御前崎までひとっ走りとか、富士山の麓までとか、休日の度に中古バイクを転がしていた。
特に広大な富士の裾野を富士山めざして走る快感は、当時の鬱屈とした心を一時忘れさしてくれるものだった。
しかし、そんなオートバイ好きも、年を経るにしたがってだんだん間遠になってしまった。じかに風を受ける事に疲労を覚えるようになったからだ。風を体感するにも、徳さんの場合年齢制限があるようだ。
よく中高年のライダーがハーレーダビットソンをドッドッドッとゆっくり走らしているのを見かけるが、その気持ちがよく分かる。
永らく遠ざかっていたバイクだが、最近家族が乗るようになり、徳さんも出張の折など借りて乗っている。しかし、こちらは原付バイクでアクセルハンドルを一杯に回しても絶対に55キロを超えない代物だ。
でも、徳さんの年齢にふさわしい風を味わうには、これで充分だ。
ただし、現在の原付オートバイ搭乗のいでたちは、以前では考えられない位の防寒に配慮したものとなっている。

2004.2.21
おはよう。
徳さんの肉体の秘密。その⑧
入れ歯。
そう、まことに情けない話である。
露悪趣味というのがあるそうだが、どうも徳さんは露情けなさ趣味の気があるようだ。情けない奴だが健気に、またある時は居直って生きている、という所が自分では何ともいえない心地よさなのらしい。この事自体がもう充分に情けないが。
そうそう、徳さんの入れ歯。さすがに総入れ歯まではまだ余裕がありそうだが、現在、6本の歯が人工物だ。2本づつ、3組のブリッジだ。
家系的に歯が弱いという事もあるだろうし、徳さんのカイロプラクティックという仕事上、背骨を矯正する時、瞬間的に歯を噛み締めてしまうという事情もあるだろうが、今まで歯医者さんに恵まれなかった感もある。
と言うのは、最近かかっている歯医者さんと過去の歯医者さんでは歯に対する対応がまるっきり違うのだった。
入れ歯を支えている歯がぐらぐらしてきて、歯茎も腫れ、痛み出したので今の歯医者さんに駆け込んだ。当然、1本抜かれ、新しく3本ブリッジになるだろうと覚悟していたのだが、一向に抜く気配が無い。いかに駄目になっているかをレントゲン写真を解説しながら説明してくれるので、てっきり抜かれると思っていたのだが。治療を終えて今、歯はしっかりとしている。駄目なりに生かしてくれてる。
歯を抜く理由に歯がぐらぐらしてる事を挙げられていたので、今までの歯医者さんに対する不信感が一挙に湧いてきてしまった。
カイロプラクティックの施術士などになったおかげで、噛み合わせが頚椎にも重大な影響を及ぼす事を知るようになった。でも、我が身でそれを実証するとは、トホホ。
歯医者さん選びは難しい。

2004.2.18
おはよう。
気になった脂肪腫、2題。
Yさんは左首の後寄りに大きな瘤を持っていた。
良性の脂肪腫なので、生活に支障がない限りと放置してたらしいのだが、長い年月のうちにコブシ大の大きさになってしまっていた。さすがにそこまで成長してくると、振り向く時など邪魔になるらしい。Yさん、口にこそ出さないが容姿も気にしている様子だ。場所が場所だけに手術に二の足を踏んでいたYさん。なにしろ首は命に関係する重要な器官の混雑地帯だ。Yさんのビビリもよく分かる。
徳さんは無責任に、これから先、神経や血管を圧迫するようにでもなったら一気に様々な症状に見舞われる事になりますよと、脅かす事、脅かす事。ついにYさんに手術を決断してもらった。
術後みえたYさんの顔付きはちょっと忘れ得ぬものだった。
「いやー、思ったより簡単な手術でしたよ。すっきりしました。」と晴れやかにおしゃる。
Uさんは左下腹部に小さなしこりを持っていた。気にしなくても良いほどの。
Yさんは男性。Uさんは若い女性。こちらは決断も早く、さっさと摘出してもらった。
脂肪腫だったのこと。
術後の一言。「長年悩んでいた便秘がすっかり治ってしまった。快便、快便。」とこちらもすっきり、すっきり。
ほんの小さな脂肪の塊でも、自律神経に触れていれば、ご本人が関係付けてもいなかった症状に見舞われている事もある。
たかが脂肪腫。されど脂肪腫。

2004.2.14
おはよう。
徳さんの肉体の秘密。その⑦
顎の脂肪腫。
徳さんはご幼少の頃、病弱だったにもかかわらず、入院などという大事に至ったことは無い。
小学の5年生までは、1週間に1度は大げさとしても、しょっちゅう発熱し学校を休んだ。
かかりつけの主治医の先生がたまりかねて学校以外での勉強を禁止したほどだった。学校が引けたら外で遊び回る事を強制された徳さんであった。
以来、すっかり縁の無くなったお医者様ではあるが、外科の先生にはお世話になるようになった。
とは言っても、徳さんの場合、現在のところささやかな物ばかりであるが。
高校生の頃できた左顎の脂肪腫の摘出もその一つである。
顎ヒゲが皮膚を突破しきれず、皮下で螺旋状に渦巻き、それを脂肪組織が保護、さらに袋で包み保護、隔離されていた。
外科の先生からその摘出された脂肪腫を貰って帰り、しばらくは飽かずに観察していた記憶がある。
それはそれで、異物には違いないのだが、一つの完成した組織で芸術的な代物だった。
体で起きている様々な異変は、局所的には最善の対応をしている事が多い。たとえ、持ち主である全体としての肉体が不都合を訴えている場合でも。
次回は他人様の脂肪腫について。

2004.2.7
おはよう。
80歳になる徳さんの母上は誤解されている。少しかわいそうである。
息子がカイロプラクティックの施術士だと、しょっちゅう適切な施療を受けているはずと、周りからうらやましがられている。
ところが徳さん、薄情者。相手が身内だと面倒臭さが先に立って、たまにする施療も、要所だけを選んでお茶を濁す始末。まあ、敵もさる者、徳さんがそうそうに施療を切り上げようとする直前に、悪いけどこことここだけもう少しやって。となかなかのツワモノではあるが。
そんな攻防の中で、徳さんは先日、思いかけず親孝行をしてしまった。
皮膚科に連れて行けとおっしゃる。足に出来た魚の目が痛くてしょうがないとの事。
母上はご幼少の頃、股関節炎を患い、大腿骨頭を切除する手術を受けていて、足底に変則的な体重を掛ける為、魚の目が出来やすい。
最近までは、不自由な足を折り曲げて、なんとか自分でほじくり出していたのだが、ここに来て出来なくなったとの事。皮膚科で魚の目の治療をして貰いたいと仰せられる。
皮膚科はいつも混んでいて、徳さん二の足を踏む。面倒臭いのと膨大な時間の消費におびえてしまう。出来れば行かずに済ませたい。
皮膚科の魚の目に対する治療はナイフで削り落とすだけだ。
ならば、息子が削って見る。と言って母上の足の裏を見ると、いや、ビックリした。
親指の爪大の魚の目が3ミリの高さの台地として君臨している。これでは痛かろう。小石を埋め込んで歩いているようなものだ。
徳さん、切れ味のすこぶる悪いカッターナイフを握る手を震わせながら、硬い頑固な魚の目削り作業に悪戦苦闘すること数十分、なんとか母上の足底を平らにならし終えた時にはヘロヘロ状態になっていた。久々の親孝行を実感した。
作業を終えてしばらく経って母上の詔。
「あら、さっきまで、あんなに痛かった腰がずいぶん楽になったわ。」
そうなのだ。
魚の目一つで、人はバランスを崩し腰痛になることもあるのだ。
徳さんちでは、この度新しいカッターナイフを購入いたしましたとさ。
母上がこの徳さんの稀に見る親孝行を正しく認識しているかどうかは今現在不明である。

2004.2.4
おはよう。
前回の続き。
特別養護老人ホームに入ってるYさん夫婦のだんなの方の部屋の話。
こちらは、あらかじめ設計者が、おそらくこうしたら体の不自由なお年寄りにも利用し易いに違いないと頭で作られたものだった。
部屋の一角に洗面台がある。なかなかしゃれた造りの代物だ。
しかし、Yさんにはこれが使えない。
なんでも、この洗面台、トイレが内蔵されていて、取っ手を引けば便器が現れる仕組みになっている。
最近の理容院でよく見かけるはめ込み式洗髪台のトイレ版だと想えばよい。
電動車椅子を利用しているYさんには、車椅子の足を置く部分がじゃまとなって洗面台に近寄ることが出来ないのだ。
おまけに、褥瘡(とこずれ)対策として特製のマットを座面に敷いているため、腰の位置が高すぎて鏡を見る事が出来ない。
さらにおまけに、かんじんのトイレに移動出来ない位置関係となっている。
かくしてYさん。小は尿瓶で採ってもらい、大は建物の反対側にある本物のトイレまで連れていってもらってる。
そこには当事者がいない。一人よがりの工夫の押し付けとなってしまっている。当然無駄な予算の計上もある。
このような光景を何度か見た記憶がある。
この場合、ポイントはその人の障害に見合った設備の必要性、という事だ。
何も先端の設備が必要なのではない。その人の要求に合った物を。
どうも役人達や委託を受けた設計者は、机の上だけで理想を設計するようだ。
粗末な物でもいい。手作りが一番。
徳さんは、公共事業のミニ版を見る想いがした。

2004.1.31
おはよう。
今年の1月の暦は第5木曜日があった。
徳さんにとっては貴重なずる休みの日である。
第1,3火曜日と木曜日を出張日にして、都内数ヶ所で出張施療しているが、それも第4木曜日まで。
このカレンダー頼りの特別休暇を利用して、日頃から気になっていた知り合いの老夫婦に会いに行った。二人とも身体障害者で昨年まで地域でアパートを借りて介助者を入れながら、自分達で出来る事は進んでやる気持ちで頑張っていたのだが、2人とも体調を崩して、ついに特別養護老人ホーム入ってしまった。徳さんの脳裏には奥さんが車椅子から斜めに身を乗り出すようにして炊事場にへばりついていた姿が焼き付いている。
さて、その特養老人施設だが、宅地造成中の丘のてっぺんに位置し、新築3階建てのモダンな建物
である。スペースも充分取ってあり玄関に続くホールなどは大きな抽象画も飾られていて、なかなかにナウい。
2人は夫婦でありながら、障害の状態が違うため(使用するトイレの設備が違う、車椅子から降りた時の活動状態が違うなど)それぞれ個室で生活してた。
そこで感想。
奥さんの部屋は、設備の利用法がかなり特殊なため、彼女の障害に合わせて手作りの工夫がなされていた。
一方、だんなの部屋は、、、、、、(次回に続く)

2004.1.28
おはよう。
傍らにある「本日の抜粋」でも触れたが、最近、森巣博の『無境界家族』という本を読んだ。
患者さんにそそのかされて読んだ。
社会とのつながりがどうしても希薄に成りがちな徳さんのような商売の場合、そそのかしてくれる患者さんは貴重な財産である。Tさん、感謝感謝のナンマンダブです。
さて、その本。博打打ちのエッセイである。
だが、しかし、徳さんがなろうとしてもなれない高等遊民を実現しちまっている。侮る無かれ、博打打ち。こんな生き方と、こんな才能があるということは、毎日を昨日と同じように生きている徳さんにとっては刺激的でした。
そして、さらに、さて。この本の内容はともかく、徳さんはこの本の装丁に心動かされた。
表紙デザイン、岡邦彦とある。こいつが、いや失礼、この方のデザインに徳さんは反応してしまった。
ジグソーパズルを模して、パズルの一片で日本を表わし、四片を使って、今回の話の舞台であるオーストラリアを表している。位置関係をそれらしく設定して、ただ、それだけである。
暗示的である。
世界をジグソーパズルになぞらえたら、このパズルが完成を見る事があるのだろうか?
パズルの一片一片は、あるものは焼け焦げ、あるものは化学物質が溶け込み変色している。ジグソーパズルであるべき存在証明である突起そのものが欠けているものもある。
にもかかわらず、このジグソーパズルは完成させねばならぬのだ。

患者の皆様、徳さんをどんどんそそのかしてやって下され。

2004.1.24
おはよう。
Tちゃんがハイハイをして、施療室の玄関口に突進していく。
1歳の誕生日を迎えたばかりのTちゃんは、部屋の片隅、薄暗い所、そして雑然としてて汚らしい所がお好みのようだ。Tちゃんにとって施療室は見知らぬ空間で、興味津々のご様子である。
お父さんがあわてて捕まえて引き戻す。お母さんは徳さんの施療を受けている。
Tちゃんは、お父さんに捕まることも含めて、この一連のやり取りが堪らないらしく、飽くことなく玄関口への突進を繰り返しては、キャッキャッと奇声をあげている。
お父さんに施療を交代する頃は、お父さんヘロヘロである。
お母さんはどうしたか?
玄関口の境に座り込んでTちゃんの行く手を塞いだうえでTちゃんをあやしてる。
労少なくて効果大。
Tちゃんは自然な感じで危険な所には行けなくなったが、あとは自由を許されてご機嫌を損ねた様子は無い。
お母さんの勝ちである。

2004.1.21
おはよう。
先日の深夜、たまたまアメリカのWWEというプロレス団体のイラク派遣米軍への慰問興行を見た。
何だかんだと云っても、徳さん、プロレスが好きらしい。
有線放送による再放送である。途中から見たのだし、眠さに負けて途中までしか見なかったので、垣間見の感想にしかならないが、アメリカ人気質といったものを存分に味わった気がする。
そして、これは世界には受け入れられないだろう、と思った。
途中から見た関係で、慰問が行なわれた場所が分らないが、おそらくバクダット郊外と思われる。荒野に設置した陣地といった印象だった。上空を攻撃用ヘリコプター、アッパッチが警備のため旋回している。武力で無理やり創り出した治外法権の空間である。異様で無いはずは無い。
アッパッチの旋回の下、プロレスの試合とアトラクションが行なわれる。
そこは、その地がイスラム世界である事を一顧だにせぬ、無邪気なアメリカ人気質に覆われていた。
登場するプロレスラーのうち何人かは、試合の前に、観客である兵士達に向かって、彼等なりの励ましと感謝の挨拶をする。「おまえ達は真の英雄だ。おまえ達がこのイラクの地で戦ってくれてるおかげで、我々は安心して生活する事が出来る。」という意味の言葉を、そのプロレスラー独特の言い回しでいいつのる。兵士達はその一言一言に激しく歓声を挙げる。とんでもない下品さを売り物にしているシナもフセインのケツに拳をぶち込んでやると挨拶してた。アウトローがここではすっかりインローのていたらくである。
アトラクションは女性プロレスラーのストリップショーまがいのものだった。
男性兵士を喜ばせるのは分るが、そして徳さんだって嫌いではないが、ここはイスラムの地だぞ。
この慰問興行は衛星放送で世界中に配信される。治外法権をうそぶいているそのすぐ近くで受信しているイラク人がいるのだぞ。
そんな事をお構いなしに己の流儀を押し通すのがアメリカなら、何時ま経っても駐留は成功しないぞ。
最後に、少し救われた場面を。
RIKISIというプロレスラーが試合後、2人の女性兵士をリング上に招き、力士ダンスというものを一緒にやった。突然指名された女性兵士が見事に踊りこなす姿を見て、ああ、これが彼女らの日常の姿なのだと、米軍兵士のやるせなさに思いをはせた徳さんだった。
ともかく隣人への配慮をおろそかにするなら、早々に退場しなさい、ブッシュさん。
イラク駐留を認めない徳さんだが、現実に駐留しているのだから、駐留の在り方も一方で見極めねばならない。

2004.1.17
おはよう。
徳さんの帰宅時間は毎日遅い。
何事も一人でやっているので、施療が終ったからといって仕事そのものが終ったわけではない。
しかし、皆さんの想像どうり、その日の整理、明日への準備、施療室の掃除などなど、、、、を真面目にしている訳ではない。
施療室の隅には、小さな冷蔵庫があり、当然のようにアルコール類が用意されている。洋服ダンスにはでん六の柿の種が隠されている。机の上には聞き分けの良くないノートパソコンが置かれている。
この3点セットのお陰で帰宅時間に遅れが出ているのが本当のところだ。
患者さんには申し訳ないが、施療室は何時まで経っても雑然としたままだ。
さて、帰宅後遅い食事をテレビを見ながらするのだが、めぼしい番組はあらかた終っていて、深夜のニュースを見るのを常としている。体力に余力がある時には、家族が寝た後も、これまたアルコールをちびちびやりながら、だらだらとテレビ鑑賞を続ける事となる。
そんな中、先日、イラク駐留軍を慰問するアメリカのプロレス団体の興行に出くわした。
翌日の仕事があるので、最後までは見なかったが(午前2時まで起きている元気は徳さんには失せてしまった)日頃の悪役ぶりが見事に裏切られるレスラーもいたりして興味深かった。
その時の感想は次回、少々。

2004.1.14
おはよう。
昨年の徳さんの凶の代表者は、そうだ、徳さんの坐骨神経痛だ。
何とも恥ずかしいが、言い出したのだから仕方ない。
患者さんには得々と坐骨神経痛の由来をしゃべる徳さんだが、我が身に即して考えるとどうなるか。
患者さんは他人だから話は簡単。
日頃の生活習慣の問題点を見つけて指摘すれば良い。
ところが自分の事となると、あらゆる己の行動、性格が坐骨神経痛と結びついてしまう。
第一に挙げるべきは施療行為だ。
徳さんのやり方がまずいと云われればそれまでだが、患者さんの背筋を緩めるために、患者さんの左側に位置して、徳さんの体重を右に預けるやり方をしている。当然、右に偏った姿勢である。又、患者さんの背骨を矯正する時には、患者さんにベッドの上に正座してもらい、後ろから徳さんの胸を密着させ、患者さんの背骨を一気に持ち上げるような行為をする。ついついお腹を突き出すようなかっこうになる。腰椎の4,5番に悪影響を与えてしまう。坐骨神経痛に向けてまっしぐらの感は避けれない。
そこで、徳さんの性格が問題となる。
分っているなら止めればいいじゃないか。他の施術方を考えればいいじゃないか。
ところが徳さん。性格が悪い。
地獄にまっしぐらという雰囲気が嫌いではないのだ。
反面教師としてのカイロプラクティック施術士。と呼んでおくれ。
そして、現在の凶はと云うと、このHPのカウンターが狂ってしまい、修復にもたついている事だ。
フリーのカウンターを提供している会社のトラブルで、ちゃんとした謝罪の文章もあったが、そこで指示している修復法を何度繰り返しても上手くいかない。
きり番狙いの方には申し訳ないです。

2004.1.10
おはよう。
まだまだ、年明けの話でよいだろう。
徳さんの昨年の吉凶はどうだっただろうか。
吉は? やっぱり、これと言って思い出せない。しかし、搾り出してみよう。
昨年の5月に我が家ではオカメインコの幼鳥を買って来た。ノンちゃんと名付けた。今では立派な成鳥になっている。
当初、餌付けをした者だけに愛嬌を振り撒いていたノンちゃんが、年末になって、急に徳さんにもなついてくれるように成った。これが徳さんにとっての昨年の吉である。
今まで、肩や頭にに乗ったりだけはしてくれるのに、こちらから触れようとすると、とたんにくちばしを攻撃的に向けて威嚇してきたのに、急に頭を下げ首筋を撫ぜさせるようになったのだ。めちゃかわゆい。
これには背景があって、年末に餌付けをした家族が海外旅行に行った際、帰りの遅い徳さんではノンちゃんの面倒を見切れんと思い、知人に預けたところ、知人の娘さんが鳥使いと自称するほどの鳥好きで、彼女のノウハウを盗んでみたら、大成功だった訳である。
凶は? これはわんさかある。その一つ。
恥を偲んで言えば、灯台元暗し。紺屋の白袴。
なんとカイロプラクティックの施術者である徳さんが、かなり手強い坐骨神経痛うに見舞われたのだ。これについては次回。
世界の吉凶となれば、凶しか無かったと断言しよう。

2004.1.7
おはよう。
そして、新年明けましておめでとう。
年が改まったからと言って別に何かが目出度い訳でもないが、気持ちを新たにするきっかけにはなる。
年末年始のドタバタ騒ぎが一段落して、徳さんの家族は初詣に行った。
人ごみが嫌いで、厄落としなどを願うには厄が多すぎて八百万の神様にだってお願いするのは気が引ける徳さんは、初詣の目的がそもそも卑しい。家族への申し訳と、正月料理に飽きた味覚をさっぱりさせる事に感心を集中させて選ぶようにしている。
そんな目的にかなう神社を、なるべく手近な処で探して、今年は狭山湖のふもとにある山口観音に行った。
参拝客が百人単位のこじんまりした初詣である。
それでも、茶店はあるし、屋台も10店ばかり出ている。それなりに雰囲気を楽しめるのだ。
なかでも徳さんを気に入らせたのは、境内の片隅でやっていた小さな焚き火だ。
10人程が周りを囲めば定員オーバーになる位のささやかなものだが、寒空の下、用意されたコンクリーブロックに腰掛けて、ボーっと炎を見つめ続けるというのは何とも気の落ち着くものだった。
火が信仰の対象になったりするのが心の底から納得できる。炎は一度たりとも同じ姿を見せず、空中を舐めるように侵食しては次の炎にバトンタッチする。生き物のようであるが、そこで行なわれているのは完全に化学式なのだ。その事を不思議に思う。説明と実際の感覚との違い。我々はこの違いを感じれるからこそ生きていけるのだとも思う。
こうした、たわいない、ささやかな事で満足出来る性情は何に由来するのか知らないが、徳さんは自分では随分得な性情だと喜んでいる。
それはそうと、当HPのカウンターが変な反応をしてしまい、突如4000ばかりカウント数が減ってしまった。原因は不明である。きり番ねらいの方には申し訳ないが、徳さんの新年早々の厄だと思って勘弁してやって下され。近日中に補正は致します。

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