本日の抜粋 2

日本の官僚または官僚組織の特徴は簡単に要約すると次の通りである。
1.官僚組織は、本来、国のため国民のためのものであるにもかかわらず、自己目的化し、仲間うちの面子と利益を守るための自閉的共同体となっている。
2.しかも、その自覚がなく、国のため国民のために役立っているつもりである。
3.共同体のメンバーでない人たち、すなわち仲間以外の人たちに対しては無関心または冷酷無情である。
4.同じことであるが、仲間に対しては配慮がゆき届き、実に心やさしく人情深い。
5.身内の恥は外に晒さないのがモットーで、組織が失敗を犯したとき、失敗を徹底的に隠蔽し、責任者を明らかにしない。
6.したがって、責任者は処罰されず、失敗の原因は追及されないから、同じような失敗が無限に繰り返される、等々。
岸田 秀 『官僚病の起源』より 新書社
これに関しては、もううんざりして、コメントも述べる気にもなれない。確かに日本の官僚の組織永久保存運動は以上のような仕組みになっているのだろう。しかも、悪い事に彼らを増長させる取り巻きと、取り巻き意識が現存している。彼らを増長させ、その取り巻きでいる事によって利益を得るものがいるのだ。
中央の役人が地方でどんな扱いを受けるか?
徳さんは親父が国家公務員で勤務地が地方都市と東京を行ったり来たりしてたので(小学校を6回も転校するはめにあった)幼心に、そこら辺の雰囲気は何となく判る。
もちろん、親父がその特別扱いに段々と麻痺していく様子も。
35億年前に生命は海で誕生しました。もちろん細胞一個からできている単細胞生物です。彼らは海の中で生きていくにあたって、まず自己と外界を区別することからはじめました。単細胞といっても、細胞のなかで情報のやりとりが行なわれなければ、生命活動の維持はできません。これは生物として欠かせない条件です。しっかりした情報伝達機構を備えなければならないのです。
それには安定的に供給できて、しかも低い濃度を維持できるイオンが必要です。私たちの遠い祖先が選んだのはカルシウムでした。イオン化したカルシウムは海水中に無尽蔵に存在するので、安定的な供給は十分可能です。問題は濃度です。細胞内のカルシウムの濃度が海水と同じではあまりにも高すぎるのです。そこで、カルシウムイオンを細胞の外にくみ出すことにしました。(中略)
ところが、からだの機構が複雑になるにつれ、カルシウムは常に外へとくみ出すだけでは成り立たなくなりました。「細胞膜一枚の外は無限の海」などという状況ではなく、海とはまったく接していない細胞が多数を占めるようになったからです。(中略)
やがて太古の海のなかに、からだのなかにカルシウムのスットクをもつ生物があらわれはじめます。このカルシウムのストックこそ骨の起源です。
桜木晃彦 『自分の骨のことしってますか』より 講談社+α新書
生命の神秘などという表現は使い古されていて、いかにも陳腐だが、生き物の仕組みの一端をうかがっただけで、その余りの巧妙さに脱帽せざるを得ない。カルシウムのストックにとどまらず、脊椎動物は体の心棒としてそれを使い出したし、外骨格を持つ甲殻類などは体の形を決めるものとして利用している。軟体動物に分類される貝類だって、下等な生き物とされる珊瑚だって、カルシウムを上手に利用している。しかし、いずれも何万年、何億年という年月を費やして。
ここが肝心なところだと思う。
試行錯誤のスケールがべらぼうなのだ。自然科学は自然を学び、自然を真似ようとする学だと思う。
最近の科学はいたずらにスピードを競っているようにしか徳さんには見えない。
自然のゆったりした時間を自然科学は学ぼうとしないのだろうか。
グノーシスはキリスト教でありながら、『聖書』の神が創造したこの世界を承認しない。唯一の神によって創造されたというこの現実の世界は、悪、腐敗、混乱と矛盾にみちているではないか。もしも、創造の神がみずからのプランにしたがって、このような世界をつくったのだとしたら、その創造神とは、邪悪を本質とした偽物の神、悪の神なのではないだろうか、とグノーシスは問いつめていったのだ。
コスモスとして実現されてあるこの世界には、真実の神はいないのだ。それはコスモスによって、隠されてしまっている。人間はそのことを知らないままに、偽物の神が創造した、物質的世界のイリュージョンのなかでだまされたままに、一生を終わる。だが、この世界の外部に、それから隠されて、真実の神がある。その神はコスモスの創造には、いささかもタッチしたことがなく、この宇宙のどこにも所属していない。人間は叡智(グノーシス)によって、そのことを理解しなければならない。それを知って、悪の神によって創造されたこの世界を否定し、そこから抜け出すことを試みなければならない。
中澤新一 『はじまりのレーニン』より 岩波書店
西洋の思想は奥深い。レーニンの思想と一、二世紀頃発生したグノーシス思想が関連付けられるなんて。
徳さんは深く考えもしないで、無神論者を名乗っているが、どうやらその根っ子は、このグノーシス的な神一般への不信感があるからだろう。神も仏もありゃしない、という場面にはいくらでも出くわす。神が与えた試練というには不公平が多すぎるし、何の罪もないとされる幼い子らの不幸の意味が神の存在からは説明が付きそうにも無い。
巨悪は神の使いを自称してはびこるし、小悪は我々個々人の心のひだにカビのようにしつこく根を張っている。
悪と善を併せ持つものとして、自らを御し続ける事は難しい。
その難しさ故に、ついつい神というシステムの中に埋没して安息を求めるといった弱い存在が人間というものなのだろう。
神の存在を疑うからこそ、より一層神を求めるといったパラドックスの中に現在の宗教はある。
ナースが行なう数多くの看護処置は、処置料としてレセプト請求できないものがたくさんあります。いや、請求できるものは数えるほどしかありません。病院のレセプト請求法は複雑で難しいのですが、大ざっぱに言うと、現在はナースの頭数と患者数の比率によって、看護料というものが決まるシステムになっていて、それぞれに施される看護に質や量とは基本的に比例するものではないのです。ひらたく言ってしまうと、手抜きをしても手厚くしても料金は変わらないということです。器材や薬を使う治療でないと、なかなかコストが合わないという悪循環を招いてしまっているのが現実です。
小林 光恵 『ナースがまま ぽろっと本音扁』より 幻冬舎文庫
徳さんは職業柄この手の本を時々手にする。そして時々反省するようにしている。
病院に行くと、走り回っているのは看護婦さんだけだ。(看護士と名前だけ変えて何かかわったのだろうか?)この分だと走る手当てというものは出ていないらしい。
だいたい日本の現場というのはひどい事がまかり通っている場合が多い。辛い仕事、汚い仕事は末端の者に、はては正職員じゃなしにアルバイトにさせて成り立っている。この手の事に恥じ入る気持ちのない上司の元で働く労働の悔しさは、無力感から無気力を生み出すに違いない。
この本は4年前のものなので、この間、若干の改正はあっただろうが。
戦争が終わりに近づいた頃、僕は満鉄の研究室で命がけで発疹チフスワクチンを作っていた。(中略)敗戦後の僕の生活も、もっぱらシラミあいてに終始したといってもよい。ぞくぞく開拓地から流れこむ難民の群れは、おびただしいシラミの洪水をもたらし、どの収容所も発疹チフスの患者でいっぱいだった。ほとんどなすところなく死んでいく日本人、彼らはヨレヨレの服をまとい、手には大事な貴重品袋をさげたまま、急造の墓場である市内の空地に折り重なって埋められていった。僕たちは、破壊されつくした廃墟の中から、手品のようにワクチンを作ることを要請されたのであった。
亀谷 了 『おはよう寄生虫さん』より 講談社+α文庫
二世議員がすっかり保守化してしまった。中には随分と好戦的な言動をし、それが人気取りの秘訣だと錯覚しているものもいる。彼らを取り巻く現場のマスコミ人間も戦争世代からは三世のものとなっていて、戦争体験を引き継ぐ気などさらさらないようだ。。
戦争世代のウルトラ保守派議員の多くが自衛隊の海外派遣に強く反対しているにもかかわらず、あっさりと派遣が決まったのを見ても、戦争体験が政治の場で無視されてきているのが分かる。
戦争世代の寄生虫学者からみれば戦争とはシラミであったりマラリア原虫だった。
寄生虫学者がみる戦争被害者は直接の戦闘による死者ではなく、数において戦闘員の被害をはるかに上回る、戦争に伴う環境悪化による感染症被害者である。
そして当時の戦争を見る寄生虫学者の目は現代の難民キャンプの実態を間接的に訴えている。
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