本日の抜粋 2

*缶づめ食品や、自動販売機で大量に販売されている飲料缶の場合は、缶の内側に塗ってあるエポキシ樹脂の塗料から、やはり原料のビスフェノールAがしみ出していた。スタンフォード大学の研究結果によれば、この物質が10億分の二という、普通の化学分析ではほとんど検出できないほど微量しか含まれていない液体であっても、細胞に侵入して、まるで女性ホルモンのように振舞うことが確認されている。(中略)
プールにわずかな毒をたらしても、プールの水全体が環境ホルモンに変わってしまうほど、おそろしい作用を発揮する。
日本の飲料缶では、エポキシ樹脂を使っている四種類のメーカーのコーヒーを長崎大学の有薗浩司助教授のチームがしらべたところ、10億分の八十九・六~一二七・一という濃度のビスフェノールAが検出された。
*「微量でも大丈夫ではない」のが環境ホルモンと放射性物質である。
*危険物を「安全だ」と言い張る化学産業界は、バックに最大の産業である石油メジャーを抱え、宣伝のためにはほぼ無尽蔵の資金を持っている。環境ホルモンの化学製品はほぼ100パーセントが石油製品であるからだ。
広瀬隆 『パンドラの箱の悪魔』より NHK出版
「微量でも大丈夫ではない」のが環境ホルモンと放射性物質である。
この一行をこの先の人類は常に呪文のように唱えながら日常生活、経済活動を進めていかねばならない。なのに徳さんをはじめ、皆さんののん気なこと。
この人の本を読むと生きていくのがやになるほど、物事には裏があって、それが巧みに隠されている事を教えられる。
こうした聖なる場、あるいは聖なる人々のあり方の変遷の過程、その衰退の歴史を通じて、われわれは、人間の自然に対する姿勢の大きな変化を読みとることができる。それは、だれのものでもない自然を、聖なるもの-神そのもの、あるいは神の支配下にあるもの、神の持ち物と見て、そこにたやすく人の手にふれることを許さぬ畏敬すべき世界、「異界」を見いだしてきた時期の人間の社会から、自然をすべて自分の持ち物、所有の対象とみなし、それを開発し、その力をわがものとすることを当然とするようになった人間の社会への変化といって善かろう。(中略)子供の遊びの世界には、アジール(避難所)がなお生き生きとした生命を保っていた。
 少なくとも高度成長期以前の日本の子供たちの間で、広く行なわれていた戸外での集団的な遊びの中で、大きな樹木などに手をふれていれば、あるいはきめられたある場所に入れば、追いかけてくる「鬼」もとらえることはできない、というルールがあり、そうした場はしばしば「陣」といわれていた。これこそまさしく駆け入りの場にほかならない。(中略)
 しかしこうした子供たちの戸外での遊び自体が、現代の日本の社会においては、いまや確実にその姿を消しつつある。それはさきにふれたような、自然を自分の持ち物とみなし、それを開発しつくそうとする現代の人間社会のあり方がもたらしたものであり、子供たちの頻々たる自殺をはじめとするさまざまな憂慮すべき社会現象がそこからも生まれているのである。
網野善彦 『中世的世界とは何だろうか』より 朝日新聞社
そう、だれのものでもない自然、というものに畏敬の念を払わなくなって人類は久しい。現在地球規模で破壊が進行していると同時に、人々の心のありようも変ってしまったようだ。
ひとたび糸を切られた凧が行く当てを持たないのと同様に、地球に生息するいき者が着地点を見いだせないままさ迷い歩いているようにしか見えない。
4階にある徳さんの施療室の窓からは小さな公園が見えるのだが、ここで開業して20年、子供達が群れ遊ぶ光景をただの一度も見たことが無い。
もちろん公園というものはだれのものでもない自然を、市民のためのものとして改造したものだが、でも少なくとも戸外の子供たちの遊び場として行政から提供されたものではあるはずなのだ。何か空虚な想いがしてならない。
現代社会の問題点を中世社会の研究から悟らされるとは!
僕はタチアオイの花の前にエミを立たせて姿を見つめた。エミは自分の洋服が選べなかったのと同じようにどのようにしてそこに立っていたらいいのかわからなかった。
 彼女に何も言わずに立ってもらったのは、しに何もしない姿にその人が見えるからなんだ。
エミは人生ってほどのものを生きてきたわけじゃない。だけどそれでも生活や心のあり方は見えるんだね。エミの体は垂直に立つことができなかった。今の子では別にめずらしいことじゃない。むしろ最初から垂直にちゃんと立てる子はめずらしいかもしれない。それはハート型の心がちゃんとしたハート型をしていず、左右のどちらかが大きかったりどちらかが小さかったり、時にはハート型とは似ても似つかないいびつな形をしているからだと思う。生活が心の形をゆがめ、ゆがんだ心はゆがんだ体の形となって表に出るんだね。その心と体の関係というのはたくさんの子を撮っているとよくわかるんだ。
 立ち姿が揺らいでいるとき僕はちょっと歩み寄って、その子の体を自然な立ち姿になるように直してあげる。そうするとその体の格好がいびつな形のハート型に響き合って、元のよい形に少しずつもどる。心が洋服の色に染まるのと同じように、心は体の形によっても変化するんだ。だから立ち方とか、歩き方とか、座り方とか、それはすごく大事なことなんだね。
藤原新也 『渋谷』より 東京書籍
昔、この方の『メメントモリ』を見、かつ読んで(この本が写真と文章が一体になって表現された最初のものだと思う)撮られてる光景に圧倒された記憶がある。しかも、その時使用した写真機がバカチョンだったと知って二度驚いたものだ。
さて、今回の『渋谷』。いわゆる渋谷的な女の子の撮影を通して女の子の内面と会話する仕組みになっている。女の子の心の鎧をほどいて行くその手腕はさすが路上派、とうならせるものがある。
徳さんは仕事の影響もあって上の一節を抜粋した。そうか、背骨の攻め方にこんな方法もあるんだと。
神保 ニューヨークで国連を取材したことがありますが、現在の国連は、第3世界の統治階級の利権の巣窟で、言葉は悪いけれどもペテン師の集まりみたいなところがある。
 僕は国際政治の「第3の道」みたいなことを考えるんですよ。「国連主導」とも「アメリカ主導」とも違う選択肢がありうるだろう。
 国連の理念が高すぎたのかもしれないけれど、国連の意思決定は原則として総会では三分の二以上の賛成が必要です。しかも安全保障関係では、安全保障理事会の常任理事国五カ国の発言権が大きい。拒否権まで持っている。しかし、それで何か意味あることを決めるのは難しい。たとえば対人地雷の問題はジュネーブの軍縮会議で三十年以上議論してきたのに何もできず。その間にも地雷の被害はどんどん膨らんでいった。
 そこでNGOのひとつICBL(International Campaingn to Ban Landmines 地雷廃絶国際キャンペーン)が音頭をとり、カナダの後押しを受けて、対人地雷廃絶条約を考案し、世界各国に加入を呼びかけた。スタートの時点で一二一か国が参加、現在では百四十数か国が締結しています。国連の常任理事国であり、地雷主要国であるアメリカ、中国、ロシアが入っていないのが弱点だったんですが、地雷廃絶の国際世論が形成されてきたため、いまやアメリカも中国も地雷の輸出を停止いています。だから、地雷の密輸はありますけれど、地雷の輸出の総量は物凄く減少した。
 アメリカなどの大国主導でもなく、国連主導でもないわけです。僕は、こういう手法がもっと活用されれば、国際紛争や世界的な問題の解決に資するところは大きいと思っています。
『漂流するメディア政治』より 宮台真司×神保哲生 春秋社
だらだらと引用してしまったが、対話形式の文章を引用するとついついこうなってしまうのです。
この神保さんの発言で取り上げたいのは二点。
現在の国連というのはペテン師の集団とも言えること。
国連主導やアメリカ主導じゃない道を探らなければ国際紛争の解決は望めそうも無いという事。
日本列島に関しては、ケガレへの対処の仕方に列島東部と西部とで違いがあったことを明らかにした研究が行われています。それは考古学及び民俗学の専門家である愛知大学の木下忠氏の『埋甕』に収められた論文で、産穢への対処を、「胞衣」(胎盤)の扱い方によって二つのタイプに分類しています。

 一つは、縄文時代から見られるやり方で、胞衣を竪穴式住居の入り口の地面に埋めてしまいます。子どもが赤子のうちに死んでしまった場合も同じ扱いをしていたようですが、現在でも、胞衣をなるべく人が踏むことの多い場所に埋める習俗があります。戸口や、道が交差している辻にわざわざ持って行って埋めることまで行われています。こうした地域では、人に踏まれれば踏まれるほど、赤ん坊が元気に育つという考え方があったといわれています。

 これに対して、住居から離れた場所に「産室」を設け、「産屋」を建て、その床下を深く掘って胞衣を埋めるというやり方をしている地域があります。とにかく胞衣をなるべく遠くへ持って行って埋めることが重要であり、例えば室町時代の将軍家の場合は山中に埋めに行かせたりしています。

  木下氏はこの二つのやり方のうち、前者を縄文的、後者を弥生的とよんでおり、前者はケガレに対して神経質ではなく、むしろおおらかであり、後者は敏感でケガレを忌避する傾向が強いと捉えられておられます。

網野善彦 『歴史を考えるヒント』より 新潮社

徳さんは中学1年の2学期から、中断を挟んで8年位を広島で過ごした。
精神の絨毛期(徳さんの勝手な造語だが、人体の小腸の粘膜にあるビロード状の小突起の群れ達に気持ちを沿わせて)に当たる訳だが、その時期、その広島でとんでもない事態に出くわした。
いわゆる部落差別である。
当時、広島ではこの被差別部落と在日朝鮮人、原爆スラムの住人の問題が三つ巴になって差別問題として混在しながら、人々の裏の意識に君臨していた。
移転先でかなり親しくなった人達から、突然発される彼らへの侮蔑の言葉。
彼らが人の良い人達だっただけに、これはこたえた。
以来、被差別部落の問題は徳さんの大きな関心事になった。
この本は、被差別部落問題の元の元を探ってくれる。
気分で言えば、徳さんは縄文人に組みしたいが、そんな決意表明だけでは済まされない問題である。
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