本日の抜粋 2

外から取り入れたものが、細胞の原形質の中に入り、ここで加工されて再び外へ出る。この流れが小川のせせらぎのように、絶えず滞りなく流れている状態、これが細胞の生命に不可欠の条件です。そこに少しでもたまりが出来ますと、先程申しましたようにハキダメにうじが湧くという極く平凡な理論で問題が起きます。ところが動物のからだには沢山のたまりの部分があります。これに対して植物のからだにはもともと一切そのたまりの部分がありません。これが動物と植物の根本的な違いであります。
三木成夫 『人間生命の誕生』より 築地書館
姿勢を正さなければ成らぬ理由の一つに、徳さんは患者さんに次のような説明をして来た。
猫背の姿勢は内臓を窮屈な世界に押し込める事になります。
内臓が体の中に固定されているのではなく、湿潤地にプカプカ浮いている内臓さんたちをイメージして下さい。水浸しの内臓さん達なのです。そして、その水とのやり取りによってガス交換をし栄養補給を行なっているのです。(水棲動物としての内臓さんたち)
その内臓さんたちをせせらぎに置いてあげますか、淀んだドブに置いてあげますか?と。
ところが、ちゃんとしてても、たまりの構造があるのが動物だとは!
悪条件を引き受けるからには皆様心してかからねば成りなせぬぞ。
タハール省のタラカーンはゲリラ側が最初に押さえた省都。この町でマスードに再会した。
彼のそばに元ソ連兵だったニコライの姿を見つけた。なんと、マスードの護衛役をしていた。
政府軍兵士の捕虜への処置にも驚いた。彼らは、道路の建設や家屋の再建に従事させられていたが、食べものは戦士と同じ。牢獄もなく、家族との面会も自由だった。そして、二年たてば釈放されるという。
 『地を這うように 長倉洋海全写真集1980-95』より
時代は西暦1979年までさかのぼる。25年前のソ連侵攻に対してマスード率いるゲリラはこのように闘った。捕虜に対する扱いを民主主義国家を自称するブッシュ政権のそれと比べてみるがいい。末端で起きる出来事は、時の指導者を反映してて、恐ろしく相似形である。
世界中で老人の自殺の統計を公表してますが、日本をふくめて大きな間違いがあると思うんですね。老人の自殺の七〇~八〇パーセントは病苦であるとなっていますけど、あれはもう全部嘘ですね。
身内から重荷とされ冷たく疎外されているのですが、体裁が悪いから、警察の調べに対して、自殺の動機には病苦を持ち出す。だから身内の言いなりに神経痛の病苦であると書かざるをえない。統計は必然的に病苦と登録されてしまう。生きている人は嘘つきだ、ということになる。神経痛や高血圧などが、死にせまった病気とはとても思えないですよ。
上野正彦 『死体の証言』(山村正夫との対談集)より 光文社文庫
物言わぬ死人が語りかける言葉を聞き出すという世にも珍しい職業、監察医と事件記者上がりの推理小説家との対談集。死体をめぐる裏話が満載されている。
生きている人は嘘つきだ、という指摘は、指摘されて初めてギョッとする類の物だ。
客観的だとされる統計も心してかからねば。
  秋の夜の会話

さむいね。
ああさむいね。
虫がないているね。
ああ虫がないているね。
もうすぐ土の中だね。
土の中はいやだね。
痩せたね。
君もずゐぶん痩せたね。
どこがこんなに切ないんだらうね。
腹だらうかね。
腹とつたら死ぬだらうね。
死にたかあないね。
さむいね。
ああ虫がないてるね。

草野心平 『日本の詩 12』より ほるぷ出版

きり番で3614(さむいよ)なんてのを思い付いたのはこの詩のせいだ。
季節はずれで申し訳ないが、きり番というのは1回限りなので融通が利かないのです。まあ、徳さんの人生、限りなく冬に近い秋のソナタを奏でている訳だからして、お許しあれ。
それにしても世の中、さむいし、切ないね。
絵を描く行為で母親にこたえていけない。つまり仏壇に捧げる花でいえば、花の形じゃなくて、匂いのほうでないと、母親には届かない。そんな思いがしてきたんですね。それはまた、母親のたましいいに届かせることと、同時に自分にもはね返ってきてくれなきゃならないことのわけですね。花の形をいかに造形的に美しく置き換えるかという作業より、まったく正直に母親が亡くなったときの自分の悔しさとか、母親をずっと歪めてたぼくの線というんでしょうか、そういったものを、死ぬまでに伸ばしておきたいんですね。
細かなことではいろいろありましたけれど、自分が曲げられていたという思いは、実は自分が曲げていたんだということを、今のぼくの問題として書きたいんですね。
司 修 『あなたが子どもだったころ』での河合隼雄との対談より 講談社+α文庫
日頃、絵画などに縁が無く、まして芸術論などお呼びでない徳さんだが、花の形じゃなく匂いを、と言われると何となく分かる気がする。技術じゃなく魂を!という事だ。技術は魂を伝える際の道具だから磨かねばならぬのは当然だが、その技術を使って何を伝えたいのかが分からぬ様ではそれは芸術ではない。
我が身に振り返って、徳さんの生業としているカイロプラクティック業界では、やたらテクニック、テクニックという声がかしましい。テクニックで患者さんの抱えている身体的問題のすべてが解決するような物言いである。そんなに簡単じゃないぞ、人間の身体は。この野郎!形じゃなく匂いを伝えるのだぞ。
何だか、カイロプラクティック業界から近々追放されそうな予感のする徳さんでした。
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