本日の抜粋 2

振り返ってみれば、清潔な都会生活と同じように「滅菌思想」が実行されてきたのが、他ならぬ現代農業だった。家畜に糞尿などの有機肥料は再利用されずに「廃棄物」として捨てられ、代わって大量の化学肥料が使われた。その上に、農薬を撒く。農薬は「病害虫」を殺すが、虫をピンセットで摘み取るのとはちがう。アブラムシだけでなく土のなかのミミズやダニ、そして土壌微生物の世界まで巻き込んで攻撃する。まさしく、一つの生態系を壊すのであり、これこそが「土が死んでいる」状態である。ミミズを餌として生きている小鳥たちに農薬は蓄積して、「沈黙の春」が訪れる。(中略)B・M・W技術は「不潔な細菌」にたいする蟻地獄のような戦いを、もう止めようと呼びかけている。(中略)農業という人類積年の知恵から学ぶ事が重要なのである。B・M・W技術は微生物と付き合ってきた人類の知恵を今に再発見する一つの方法である。
長崎 浩 『「細菌」が地球を救う』より 東洋経済新報社
地味な努力が日の目を見ないのがこの世の常である。
地球環境を守ろう!という大上段の標語には飛びつくくせに、現場の地道な努力には素通りしていく。
B・M・WのBはバイオ、Mはミネラル、Wは水。
岩をも溶かす微生物の力、現象的には岩石の力を利用した生き物復活としての、旧農法というか最新農法というか。農業は本質的に資本主義とは反りが合わないものだという事に国政レベルで気付いて欲しいものだ。
広島に住んでいた頃、ご近所のネギ生産農家のオバちゃんは、うちで作っているネギは農薬をたくさん使っているので、とてもご近所さんにはお分け出来ないと言って1本のネギもくれなかった。
動物が利用する多くの薬物に共通する特徴は多機能性である。つまりひとつの薬物にいろいろな薬効があるのだ。健康を脅かすものはあらゆる方向から、さまざまな原因から、しかもしばしば同時にやってくるので、作用範囲の広い治療法を持つほうが有利である。たとえば、土食は胃酸のバランスを整え、腸の内側をおおって保護し、食物と一緒に体内にはいった毒物を吸着し、そのうえ必須アミノ酸を提供する。(中略)この多機能性は、どの病原菌に狙われているかを知りたい人にとってはいらいらすることだが、自己治療のたいへん適応的な特徴である。
シンディ・エンジェル 『動物たちの自然健康法』羽田節子訳より 紀伊国屋書店
多くの野生動物たちは薬物として植物を巧みに利用している。植物が外敵から身を守るための防御物質を作り出したそれを、毒性のものも含めて必要に応じて。それは何万年、何千万年の知恵といってもいいだろう。
現代医学の困難はここ百年位の地球環境の急激な秩序破壊により、生き物として未知の物質に遭遇していることの中にもある。性質の悪い事に現代医学が作り出した物質もその中に含まれる。
最先端は遠い過去からの積み重ねによって検証されなければならない。過去から繋がる最先端であって欲しい。
オーストリアの湖沼地帯で、一帯の放射能の値を検査している人に会ったときのことである。彼はある板切れを見せてくれた。それは湖の岸にあったベンチの一部であった。
彼が板の端の部分に放射線検知器をのせても針は振れなかった。
しかし、彼が器械を動かして、板の中央部に置いたとき、検知器の針は振り切れ、警報が鳴った。
『人間の戦場 広河隆一郎の全軌跡』より 新潮社
情報氾濫の時代である。自らの手で情報を集める事の出来ない我々は、主にマスコミによって流される情報を元に感想を持ったり、判断の基準にしたりしている。情報操作や取り上げ方の偏重がある事を前提に。 
世界は化学の実験場じゃないので、決まった結果が出る訳ではない。濃淡のあるまだら模様で構成されている。何処から見るのか、何処に照準を当てるかによって情報はポジとネガ位に変わってしまう。もともと情報が操作され易いのだ。
この抜粋箇所は戦場のカメラマンと称される広河隆一郎の、俺の照準は板の中央部だ、という自負や自戒のようにも受け取れる。
最近、驚いたのは、北海道のあるワーカーズ・コレクティブの例です。妻の年間収入が一三〇万円をこえると夫の扶養家族からはずれて国民年金を自分で払わなければなりません。年収が一五〇万円を超えれば、それらを払っても不公平感はないのですが、それ以下では世帯年収でいわば「逆ざや」が発生します。だから多くの既婚女性たちが「一三〇万円の壁」のまえで自分の働き方を足踏みして、就労調整することになります。
このコレクティブでは、驚いた事に一三〇万から一五〇万までのあいだに発生したこの「逆ざや」を、手当てとして支給することを決めました。一三〇万の壁のまえで足踏みする人に、心おきなくなく自分の仕事をふやしてください、と背中をおしてあげるために、年金分を仲間で負担する。これは一部の人に働いた以上の給料を特別に出しているのとおなじですが、その不公平な配分にみんなが合意して、そういうルールをつくっている。
上野 千鶴子 『サヨナラ、学校化社会』より 太郎次郎社
徳さんの知り合いにも130万円の壁に足踏みしているパートのおばさん(失礼!)が何人もいる。制度悪という言葉があるのかどうか知らないが、生活保護の制度を代表として、人の上昇意欲に水を差すような制度がある事は事実だ。君達には期待していない。お目こぼしのお慈悲は与えてやるから従順に国の制度に従え、と言っているようなものだ。
雇用時の身分の違いによって差別が発生している現実の上に労働組合もまた胡座をかいている。組合官僚も出世コースの一つというのは強烈な皮肉だ。
雇用条件の劣位のものに対して仲間という概念を捨ててしまい、企業と結託し、既得権の維持に汲々としているような労働組合は、労働者の敵である。
この本は、理論に偏らず、現場の課題の解決の暗中模索をターゲットにしているので、実践的効用が有りそう。
アニメ版には出てこないが、コミックス版には、「火を捨てた森の人」というキャラクターが登場する。彼らは、ナウシカにとって、ほとんど唯一の力ある味方だが、ナウシカをはじめとする、ふつうの人間にとって、火を全然、使わない生活は不可能だ。そこで注目したいのは、風の谷に住む老人たちがいった、次のせりふだ。「わしらも火を使う。しかし、ちょびっとだけだ……」。
この「火をちょびっとだけ使」い、男性と女性の関係がこれまでとは根本的に異なる文明、それが未来への道なのかもしれない。
正木 晃 『はじめての宗教学~風の谷のナウシカを読み解く』より 春秋社
ナウシカの服の色に意味があったり、オウムという虫が怒った時に目が赤くなる事の宗教学としての解釈があったりして、宮崎駿ワールドは奥が深いらしい。
近日中に『風の谷のナウシカ』のビデオを借りて再確認してみよう。
何事も表層的理解でお茶を濁す傾向がある徳さん、専門家の存在に敬意を払う事しきりであった。
なお、引用の部分は、現代を愁うる一宗教学者の見解の箇所である。
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