本日の抜粋 2

虫垂炎の診断は、実際には非常に難しい。(中略)特に小さい子供の場合、症状がはっきりしない事が多い。咽頭炎や扁桃炎などの急性上気道炎でも、強い腹痛を訴えることが、結構あるので、かなりまぎらわしい。気管支炎や肺炎で、お腹を開けられそうになることもある。
(中略)ところが世の中には、こういうことを言う医者がいる。なんでもかんでも切りたがる類だ。「アッペなんかヨー、このオレに診せれば、一発だよ、一発。まったく、アッペの診断もできねえ医者がいるんだから、やんなるよな」
こういう医者のところへは、行かないほうがいい。まずこの医者、傲慢で、軽薄で、病気の本質を知らない、レベルの低いタイプである。ものごとというものは、知れば知るほど難しい面が分かってくることを、理解できないのだ。
(中略)一般に、病気というものは時間がたてばたつほど、症状がはっきりしてくる。最初の医者より、次に診る医師のほうが診断率が高くなるのは当然だ。
柳瀬 義男 『ヘボ医者だから言えること』より 講談社
昔、知り合いの某大学の医学博士に「肩こりって何だ。」と聴いたところ「勘弁してくれよなー。」と言われた。徳さんがカイロプラクティックの仕事に従事する前のことである。
身体障害者の施設に勤めていた時、重症の慢性関節リュウマチの女性が、シェーグレン症候群と言ってリュウマチに付随する涙の出ない症状に悩んでいたので、リュウマチの権威が居ると言うその某大学の有名先生に紹介を頼んだ折りの事だ。
勘弁しろとは、そんな低次元の話は、、、、。という意味合いにしか聞こえなかった。
医療周辺行為(カイロプラクティックなどは法的にそう位置付けられる。)に従事するようになって、肩こりなどの、普段誰でもが出くわす出来事の中に重大な警告があることを知った。まさに肩こりは万病の元である。
今、専門的な医学知識では及びもつかないK君の陥っている落とし穴が気になってしょうがない。
嫌味で付け加えると、その時、有名リュウマチ大家先生は、彼女の訴えには目もくれず、彼女のリュウマチの症状の重度ぶりにだけ関心を示して、肝心の彼女の訴えにはほとんど関心を示さなかった。大先生にとってはともかく、彼女にとっては空振りの大先生訪問になってしまった。
グローバル・キャピタリズムが市場の自己調整的な安定装置を作動させることができないまま、国民の共同体的な価値や道徳を荒廃させ、ナショナル・エコノミーと国民国家の主権的システムを侵害するように見えればるほど、国家はその権威に「アルカイック(古風)な衣装」をまとって過剰なほどに増殖していくことになるのである。
こうした「国家の退場」とは裏腹の「国家の過剰」を非公式に支えているのは、階層的な狭矮化と格差のなかで脱落の危機に怯える「新中間大衆」の「保身性」にほかならない。この「普通の国民」にとって、一定のルールのもとに参加者のフェアプレイ精神で競い合うゲームとしての「自由競争」は、いまや混沌としたラッシュアワーの光景、あるいはジャングルの法則が支配する「優勝劣敗」の世界としてイメージ化されている。グローバル資本主義の狂乱に対する、もうひとつの狂乱としてのナショナリズムが、そのような「保身性」をバネに国家との静かな共鳴関係を広げようとしているのである。
姜尚中 『反ナショナリズム』より 教育史料出版会
今年最後の「抜粋」は小難しいものになってしまった。徳さん、若い頃、頭を強打した事があって、それ以来この手の文章が苦手となってしまった。と、己の読解力の無さを、昔の脳へのダメージのせいにして努力という2文字を放棄してしまっている、これこそが、脳損傷のせいなのかもしれない。
ともかく頭を抱えながら読了した。よく分からんながらも、言わんとする事のある部分は伝わってくる。
抜粋部分は最近の日本政府の、新保守勢力の主張の、そして彼らの主張を支持する人々の背景を説明したものだ。この傾向は各国で見られる。どうやら、国家と言うものは超国家資本主義に対応できないものらしい。要注意「国家の過剰」
とかく人は、禅僧が悟りを得た、大悟一番したといえば、それっきりで終わりで、悟りの状態は何もしないでも生涯つづくかのように思いがちだが、そんな安直なものではないのだ。中国の禅僧の話を読むと(中略)悟りの契機は人それぞれだが、悟りをひらいてからこそ彼らの本格的な修行が始まっている。
(中略)悟りを得た大梅法常は、それから人跡未踏の山奥に草庵を営んで蓮の葉を着、松の実をたべて座禅弁道すること三十年、譌山霊裕(いざんれいゆう)は(中略)ただちに嶮しい譌山に入って、鳥や獣を仲間に、橡や栗を食として座禅弁道すること四十年だった。こういう話ばかりである。むしろ悟りをひらいたあとにこそ本格的な修行を行なっているのだ。
これは悟りというものが固定した何かでなく、修行によってのみ保たれる精神の状態であるからにほかならない。
中野孝次 『風の良寛』より 文春文庫
俗物徳さん、どうにも、いかん、いかん。
一瞬悟ったように他人(ひと)にもの言い、大言壮語のお説教を垂れるそばから、冷や汗だらだら。一瞬も悟れない徳さんでありんす。大体、悟ったふりして他人にふるなんて、悟った人がする振舞いではないでげす。ああ、さりげなく生きたい。
良寛さんは悟りきっちゃって、二百年前の新潟地震の被災者に対して、こんな手紙を出している。
「地震はまことに大変に候。(中略)しかし災難にあう時節には災難に逢うがよく候 死ぬ時節には死ぬがよく候 是はこれ災難をのがるる妙法にて候」と。
でも、これは、悟った人が悟った人にいう言葉だよね。
子供好きな良寛さんは、悟りから程遠い衆生の事をどんなふうに思っていたのだろうか?
睾丸の移植という仮説を用いて臓器移植について考えると、唯一無二、臓器の自我のふたつとない本質についてよくわかるような気がした。(中略)
キンタマを移植すれば精子はきっとドナーのものであろう。その精子で妊娠したらドナーの子供が生まれるであろう。そのうえ女性の側が卵巣を移植しているといっそうややこしくなる。
この場合の射精はレシピエントの快感とともにもたらされる。女性もまた性交渉の快感は自分のものであってけっしてドナーのものではない。が、その生殖行為によってもたらされた結果の子どもは他人の遺伝子を発現して登場するであろう。
こうなるとわけがわからない。ほかの臓器においても自我の問題としては同様ではないか。
橋本 克彦 『私は臓器を提供しない』収容 「人間関係を視野に入れない臓器移植なんてつき合いたくない」より 洋泉社
確かにこういった例を出されると、臓器移植のおどろおどろしさが理解できる。
この『私は臓器を提供しない』では全面否定の人、現時点での反対者が10人、医者、思想家、宗教者、ジャーナリストがそれぞれの立場から意見を述べている。世に余り知られていない実態報告もある。
*「脳死です。」と伝えると家族が混乱して取れる臓器も取れなくなるので、「死んだ。」と言えと米国の医療現場では指導している。
*脳死と言われる状態から何故心停止が起こるのかはいまもって科学的に究明されていない。それを死と豪語する事は、私の医師としての「科学する心」がどうしても納得しなかった。
*大切なのは、救命できないから早く死を宣告するというのではなく、なぜ幼児たちが重度脳障害から回復するかを調べることであろう。
*人工臓器についても研究してないし、臓器の保存方法の研究もしてないという段階でやるべきではない。
*提供するご本人と近親と、提供されるほうのご本人と近親とが両方とも納得して「この人にならしてもらう」という医者と、その三者が、納得したという場合はいいというふうになることがないと。
*臓器移植の手技は外科医にとってとくにむつかしいものではない。(中略)自動車のエンジンがこわれた場合、それをなおすのはむつかしくて、エンジンをとりかえるのはいちばん下っ端の工員でもできるわけでしょう。
*ノン・ドナーカードを持っていないとあらゆる身体部分を提供させられるといった状態を想像すると、やはりそこには、「善意」を無理やり社会化して個人に「正義」を押し付けるファシズム的な傾向を感じざるをえない。
以上、諸見解の羅列でした。
「テロとの戦争」は始まったばかりで、「長く続く」とブッシュは演説した。ということはこれは一時の「非常事態」ではなく、恒常的な体制を目指しているということだ。最強国の無法な軍事制圧であるこの「テロとの戦争」はなぜ恒常化されねばならないのか。それは言うまでもなく、今進められている経済的なグローバリゼーションが、世界の貧困地域をますます荒廃させ、不断に「テロの温床」を生み出す可能性があるからであり、ありうべき「テロ」からグローバル経済の安全を守る必要があるからだ。つまり「テロとの戦争」とは、グローバリゼーションが必要とする新たな軍事的安全保障体制なのである。だとすれば、このような「無法な戦争」を必要とする「秩序」とは、なんと「邪悪な」秩序であることか。その「邪悪さ」がグローバリゼーションの正体なのだということを、「テロとの戦争」は逆に照らし出している。
西谷 修 『「テロとの戦争」とは何か』より 以文社
永続する新しい戦争を主張するブッシュが再選して、徳さんは引き続きご機嫌斜めの毎日を過ごす事となった。世界の秩序の覇王としてのアメリカを唱えるなら、アメリカ合衆国の大統領に限り、世界投票で選出するようにしてはどうか。 その時どんな人物が選ばれるだろうか?ブッシュじゃない事だけは確かだし、ブッシュ的人物でもないだろう。
この西谷の本では非対称的戦争という言葉が印象的である。
非対称の戦争ならば、最先端の近代武器による掻爬、殲滅と、原始的戦術としての自爆と人質作戦は無限に続くだろう。どちらも、己の正義を唱えながら。非対称である事自体が双方にとって許せず、理解し難いものであるから。
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