本日の抜粋 1

彼のお祖母さんはもう九十を越え、いろいろと病気を抱えているようであった。医師から処方される薬は診察のたびにどんどん増えていき、ついに十三種類にまで達したが、体の調子は一向に上向かない。ある日彼は、「もしかすると、この大量の薬こそが体調不良の原因かもしれない」と思い、本当に必要と思われる三つの薬以外を独断ですべてやめてみた。すると、なんとまあ不思議なことに、あくる日からお祖母さんはどんどん元気を取り戻していった、ということであった。
極端なケースかもしれないが、こんなことだってあるのだから、医師たちはもう一度考えなおしてみる必要がある。現在処方されている薬が、患者にとって本当に必要なものかどうかを。ゆきすぎた薬漬け医療に歯止めをかけることこそ、これからの内科医に課せられた任務ではないだろうか。
川渕 圭一 『研修医純情物語』より 主婦の友社
病院帰りに徳さんの施療院に見える患者さんの中には、大きな袋一杯の薬を貰ってくる人がいる。1ヶ月分なのだそうだ。飲むというより食べる、といった感じである。
『医者からもらった薬がわかる本』で調べさしてもらうと、一つの症状に対して2,3種類の薬が処方されている。副作用に対する薬というのも出ている。これだけの薬が出ていれば、どの薬がどのような効果と副作用を及ぼしているのかの因果関係が、処方した医師にも分らなくなっているに違いない。
ナイジェリアやザイールの例が端的に示しているように、アフリカでは「資源があればゆたかになる」という図式が当てはまらない。むしろ「資源があれば西欧列強資本が争奪戦を展開し、国内は利権争いで分断され、混乱する」という例が多い。本来真っ先に豊かになって当然なこうした国々が、今も混乱し続ける姿を見るのは辛い。
福井 聡 『アフリカの底流を読む』より ちくま新書
このような当たり前の指摘、でも根っ子の議論と言うのは、書生っぽいとか、まだまだ青いとか言われて、現実主義者の議論からは蚊帳の外扱いされるのが常だが、物語の始めがここら辺にあることだけは確かだ。日本も含めて、先進国諸国が低開発諸国に対する援助を議論する時にいやらしさが感じられてしまうのには、この物語の始めに対する謙虚な態度がないからなのだ。
アフリカ大陸という膨大な空間を一くくりにしようとする尊大さみたいなものが我々の中にもあると心した。
*ずーっと『いい子』で育ってきて、いまも両親の前じゃ本当は『いい子』でいたいわけでしょう?両親のほうも『いい子』でいてほしい。でも、本人は『いい子』でいられなくなっちゃった。それなのに両親は、いまは病気で『いい子』じゃないけれど、病気が治ったらまた元の目標に向かって頑張ってほしいと期待している。言葉で言わなくたって、彼もそれを敏感に感じていると思う。

*センターの魅力ですか?ほかの病院で働いたことのある看護婦さんたちがよく言うのは、普通は医者が上で看護が下という上下関係があるのに、センターは医者と看護が対等だ、と。たとえば、もし医者の見方と看護の見方が違っていても、看護の見方のほうが聞き入れられることがある。患者さんを一番良く見ているのは看護だし、そのことを医者もわかっていてくれる。 
野村進 『救急精神病棟』より 講談社

他の哺乳類も持っているとされる原始的脳。喜怒哀楽、快不快の感情、生命維持に欠かせない自律神経をつかさどる。そして、その原始的な脳は前頭葉などいわゆる高級な脳の干渉を極度に嫌がる。この本では原始的脳のそれを発火と呼んでいる。
現代社会は原始的脳にとって居心地が悪そうだ。
精神病というと、なにか複雑で難しそうな気がするが、ここの救急精神病棟での取り組みを見ていると、原始的脳を慰撫、支援、保護する事により精神病は急速に回復に向かうようだ。精神病は治る病いなのだ、との信念が伝わってくる。
入院期間の目安を最高3ヵ月間としている事も、長期、収容、隔離が当たり前の従来の多くの精神病院のあり方そのものに疑問を投げかけている。
いま現在の日本の入院患者の4分の1が精神病患者によって占められているという事もこの本によって知らされた。
2つ目の引用は、医療関係の患者さんとの会話で、日本の場合、医療スタッフという組織は組んでいるが、その中に医者は入っていない場合が多い、と教えられたのであえて載せた。
*今の若い人を見ていて、つくづく可哀想だなと思うのは、がんぎがらめの「共通了解」を求められつつも、意味不明の「個性」を求められるという矛盾した境遇にあるところです。会社でもどこでも組織に入れば徹底的に「共通了解」を求められるにもかかわらず、口では「個性を発揮しろ」と言われる。どうすりゃいいんだ、と思うのも無理の無い話。

*フロイトが無意識を発見する必要があったのは、ヨーロッパが十八世紀以降、急速に都市化していったことと密接に関係している。それまでは、普通に日常に存在していた無意識が、どんどん見えないものになっていった。だからこそ、フロイトが、無意識を「発見」したわけです。

*近代の戦争は、ある意味で欲望が暴走した状態です。それは原因の点で、金銭欲とか権力への欲望が顕在化したものだから、ということだけではない。手段の点において、欲が暴走した状態である。
養老孟司 『バカの壁』より 新潮新書

抜粋をしだしたら切りがないようである。
養老孟司の書いたものは、内容は面白いのに読みづらいのが欠点なのだが(これは徳さんだけの感想なのかも知れないが)この本は口述筆記のため、めずらしく分りやすいものとなっている。
人類発生以来、何十万年経っているのか知らないが、人類は未だに脳にとって住みやすい社会を創り出していない。というか、脳は脳に対して時に敵対する発達をとげるようである。どんどん己の脳を追い詰めたりしている。自分で創り出す免疫抗体が己を敵と認識する自己免疫疾患のように、脳は現代病の危機にさらされている。
絵の中に現れるのは、IQ以外の、最近EQと呼ばれている「心の豊かさ」「情緒的な豊かさ」それと「社会性」「協調性」「積極性」などです。課題になっている「家」「木」「人」以外のものは、「積極性」「主体性」「柔軟性」がなければ描けません。
しかし、前出の人々は本当に与えられた課題しか描けない。それから、自己像が出てこないのです。人間が非常に曖昧な形でしか出てこないし、全体的に生気がなく、生活実感のない絵です。
『居場所なき時代を生きる子どもたち』より 三沢直子 子ども劇場全国センター出版局
(この本は宮台真司、保坂展人、三沢直子の3人の講演記録集)
これは「描画テスト」というものを、有名大学の理系の学部出身者に行なった結果に対しての講演者の評である。「家」「木」「人」を入れて好きな絵を描くという心理テストだ。
描かれた絵が載っている。そこには家と木と人だけが、幼児の書いた絵のように、稚拙な輪郭だけで表わされている。その人の心の空洞振りは空恐ろしいまでである。
講演者は、その原因を幼児期に集団体験で鍛えられないまま、母子カプセルの中で育てられてきた事に求めている。
群れる事を忘れてしまったり、群れる事を恐れるようになってしまった青少年達、そしてその親達。
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