本日の抜粋 1

本日の抜粋 2

本日の抜粋 1

      雲よ

   雲がゆく
   おれもゆく
   アジアのうちにどこか
   さびしくてにぎやかで
   馬車も食堂も
   景色も泥臭いが
   ゆったりしたところはないか
   どっしりした男が
   五六人
   おおきな手をひろげて
   話をする
   そんなところはないか
   雲よ
   むろんおれは貧乏だが
   いいじゃないか つれてけよ    

谷川 雁 『谷川雁詩集』より 思潮社詩文庫

この詩は長年の徳さんの気付け薬だ。
「本日の抜粋コーナー」を設置した、そもそもの理由は、この詩を紹介したかったから、と言っても過言ではない。(詩を一編、まるまる掲載するのは著作権を侵害する事になるのだろうか?それが気掛かりで今まで取り上げなかった。短歌や俳句の場合どうすればいいのだろうか?弁護士さんに聞いたところ、いくら長くても、それが引用なら構わぬとのこと。しかしこの抜粋は引用でないしなあ。)気持ちがふさぐ時、不安に駆られる時、徳さんはこの詩を暗誦するようにしている。若い時には写経をするように紙に書き写したりしたものだった。
雇用機会均等法は女を集団としてまとめて差別するかわりに、学歴、経験、資格、年齢等で、きめこまかに差別する別なシステムをもちこんだ。(中略)
女に「機会均等」を与えるということは、この学歴による資格と選別の原理を女にいっそう内面化させるということである。(中略)
「機会均等」が女に勝者にも敗者にもなる自由、競争の敗者をあからさまに軽蔑する自由、男なみの競争に巻き込まれる自由……を意味したとするなら、これはやはり男がつくりあげた原理に女が屈服した「女の敗北」にほかならない。しかも東側の女性が明らかにしているように、家庭責任を持った女は最初から勝ちめのない闘いに敗者となることを、自ら正当化するように強いられているのだ。
上野千鶴子 『うわの空』より 朝日新聞社
世界の最も弱い所に世界中の矛盾が集中する。と言うのが世界の公理のようだ。
そして世界の最も弱いところの問題は世界中の全ての問題が解決されない限り、根本的には解決しない。
解決しようとする努力は尊い。
しかし、解決を阻止しようとする勢力はしたたかで、多くの場合新たな枠組みの中で旧態依然とした力を発揮する。『闇に打つ鍬』という本があったが、尊い努力の形容詞である。
格差があることによって成り立つのが資本主義だとするなら、徳さんは資本主義否定者と名指しされても構わない。差があるのは悪でも何でもない、違いがあると言う事だけだが、格差を拡大する事に己の利益を見出している輩に徳さんは組しない。
女達の問題提起は男性と平等になる事を目指しているのではなく、女達の問題に取り組む中で、男達が作り出した社会を新しく創り変えていこうとしている事の中にある。
海上から攻めてくるはずの敵を見つけるために、監視に立った水木さんが、いっかな変化のない海の「景色」に飽きて(って見張りの役ってのは景色見るわけじゃないんですがね、この、なんかちょっとふつうと違うのんびりかげんがいいんですが)、ふいに、陸の方、椰子の木林に双眼鏡を向けた時の場面です。
極彩色のオウムが、数百羽、明けかかってきた群青の光の中で飛び交っている。
「まるで天国のようだなあ」とそれを見ている水木さん。最高でしょう?命令とは反対の方角に双眼鏡を向けて、天国のような景色を眺めている兵隊。
南伸坊 『ごはんつぶがついてます』より 晶文社
イラク派遣の自衛隊諸君、水木しげる先生を模範として頑張ってくれたまえ。
問題の一つは、これらの包装容器が値段の対象となっていないことだ。商品は中身のねだんであって、包装容器の値段ではない。これらの包装容器は、いわば「ただ」で使われ、地球上に廃棄されている、ということだ。
そして、問題の第二は、これらのほとんどが石油から出来ているという点だ。
いったい、石油が形成されるのに何年かかっていると思っているのだろうか。(中略)
循環型社会を論ずるとき、しばしばエネルギーの基準のみで語られている。しかし、僕たちが将来の地球のことを思うならば、使っているものが作られる時間と、それが分解される時間という、いわば「時間という座標軸」で、僕たち人類の生活行動を看視する必要があるであろう。
藤田 紘一郎 『寄生虫博士のプーラン・プーラン』より 青春出版社
我が家では徳さんがゴミの分別の係りである。別に好きでやっている訳ではないが、かなり熱中してやるようになってしまった。確かにゴミの大部分は最初からゴミとして企業によって作られたものだ。これも、日頃から藤田先生が警告する、最近の日本人の異常な清潔志向によるものだ。
食品の防腐剤などの添加物、日常用品、家具、建材などへの抗菌処理、の二つを加えて、現代日本人の3大清潔愚行と名付けよう。
育児などというものは、手を抜けば抜くほど良いのだ。手抜きの子供ほど、いい大人に育つ。私の個的体験、およびわたしの知る周囲の家庭を眺め回すと、大胆にその結論を導き出しても間違いではないと考える。
(中略)
家庭での中心とは、常に親である。子供はおまけ。親が楽しい生活をしていなければ、子供が生活を楽しめるはずがないのだ。逆説的ではあるが、この基本をしっかりと納得していないと、子育ては失敗する。
森巣 博 『無境界家族』より 集英社
確かに。
先行世代が次期世代になんとか頑張っている後姿を見せる事が出来れば良いのだ。それも出来ればハッピーな姿を。
問題なのは、電圧の低い映写機で映される映像のように、はかない陰影しか持ちえていない我々である。心してかからねば。たかが賭博師風情に赤子の手をひねるように簡単に組み伏せられてしまう様では情けない。ただ今の状況は、徳さん、グーの音も出ない。
本の内容とは別に、この本の表紙の装丁がすばらしい。
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